前号 次号 「逍遥の歌」 わが国には、戦前から戦後の昭和二十五年(1950年)まで、全国に八つの高等学校があった。今では旧制高校といわれているが、記憶を新たにするため、それらナンバースクールと呼ばれた八つの高校の所 […]
お知らせ
前号 次号 焦土の中に現れた「国民」的ヒーロー 1923年、関東大震災により、首都・東京は焦土と化した。鞍馬天狗が「国民」の前に姿を現したのは、その翌年のことであった。それは、第一次世界大戦という総力戦とともに、歴 […]
目次 前号 次号 『レーニンとは何だったか』、今月刊! 「レーニン神話」を解体 エレーヌ・カレール=ダンコース 『中世の身体』、今月刊! 社会の核心を身体にみる J・ル=ゴフ 身体史全体を総合する仕事 菅沼潤 「天才 […]
前号 次号 「レーニンの墓は革命の揺籃である」。ソ連邦創設者の埋葬の日、参集した無数の群衆の頭上にはためく数多くの横断幕は誇り高くこのように宣言していた。1924年1月のことであった。 68年後の1992年1月に […]
前号 次号 忘れ去られた身体 歴史と歴史家たちは、身体を忘れ去った。ところが、身体はそれでもドラマを演じており、今も演じつづけている。 ぞんざいな決り文句は言説と歩みの多様性、歴史研究の複数性を等閑にふしてしまう […]
前号 次号 サンド「田園小説」の真骨頂 ジョルジュ・サンド(1804-1876)は四十余年に及ぶ長い創作活動の中に、多様なジャンルの、きわめて多彩な主題の、百余に及ぶ作品を世に問うた。時代や社会の抱えるさまざまな問 […]
前号 次号 信子さんの遺言 「なあ先生、うちのこと書いてえな」。はにかむような笑顔で信子さんは何度も私に言った。 私は物書きではない。本職は主婦。その私が、夫のロシア研究に便乗して、1979年末から九一年のクーデ […]
前号 次号 短詩型は命の原動力 鶴見 どうして短詩定型は命の原動力になりうるか、そこをうかがいたいの。 金子 これは自分の体験からしかわからないんだけれど、結局、ただ叙述するとか、意志を述べる。叙詩というか、述詩とい […]
前号 次号 ドレフュス事件と「知識人」 「知識人」、今日の日本においてはこの言葉それ自体、あるいはこの言葉によって指し示される人々が、社会のなかで重要な位置を占めているとはとても言えない状況にあるかもしれないが、約 […]
前号 次号 区別・偏見・差別 尾本 私は人類学から人権をアプローチするときに、「区別・偏見・差別」を次のように分けて考えています。まず「区別」というのは、ある事物が他の事物と異なることを認識すること。これは人間の知恵 […]
前号 次号 経済における「近代の超克」とは 1942年『文学界』誌上に掲載されたシンポジウム「近代の超克」は、日本という国家が、福澤諭吉をして「商売と戦争の世の中」といわしめた西欧中心の資本主義=「近代」をどのよう […]
目次 前号 次号 『米寿快談――俳句・短歌・いのち』、今月刊! 「ふたりごころ」 金子兜太・鶴見和子 「知識人」の誕生 白鳥義彦 ヒト学の誕生 大貫良夫+尾本惠市+川田順造+西田利貞 いまだ「近代」すら超克できぬ日本 […]
前号 次号 数ある石牟礼さんの作品の中から、なぜ『十六夜橋』と口にしてしまったのだろう。何か身の内の奥の方へじーんと浸みてくるものがある。物語は自分の外界にあるはずなのに、何故か自分の内部に入りこんでしまったようだ […]
前号 次号 反「ブローデル主義」 種々さまざまの論考を本書に集めたのは、フェルナン・ブローデルの貢献の重要性を判断するためである。 重要であったのは、「ブローデル主義」をつくることでも、非凡な一人の歴史家に「敬意 […]
前号 次号 小楠から受けつぐ儒教の道徳 熊本県水俣出身の谷川雁の手引きで、熊本の執筆者との結びつきを得てつくった『思想の科学』の特集で、私は、偽筆と日本史学者に推定される横井小楠の「天道覚明論」にはじめて出会った。 […]
