学芸総合誌・季刊「環」

新しい時代に向けてトータルな知の総合を企図する学芸総合誌

【歴史・環境・文明】
菊大判 平均320頁 本体2200~3960円

2000年4月に創刊いたしました学芸総合誌・季刊『環』も、多くの読者の皆様方からのご支持をいただきましたが、2015年5月、惜しまれつつもVol.61をもって第Ⅰ期終刊とさせて頂きました。以後は不定期ながら別冊『環』という形での刊行を継続しており、現在こちらも25号を数えています。今後も不定期ながら、別冊『環』の刊行は継続して参りますので、どうか、今後とも宜しくお願い申し上げます。

発刊の辞

学芸総合誌『環』をここに発刊する。  二十一世紀を目前に控え、われわれ日本人はいったいどこに立っているのか、どこへ行こうとしているのか。われわれは先の見えない混沌の中にいる。今こそ、世界史のダイナミズムのうちに、みずからが存在していることを自覚しなければならない。
認識すべきは、細分化していった近代の諸学が、みずからを歴史的主体とする意識を決定的に欠いていたということである。学問の真の目的は、現実をどう認識するか、にある。しかし現実は、諸学の狭隘な視野を越えるトータルな知と、大地に立って物事の本質を掴む歴史意識において、はじめて姿を現すものなのである。今われわれが混沌の中にいるとすれば、それは、歴史に向かいあう主体のあり方を顕示する学の不在を示している。
必要なのは、学の総合と、学における歴史意識の回復である。そして、それは作り手と読み手の問題意識、現実認識、すなわち歴史認識が、より直接的に反映されうる総合誌においてこそ、試みられるにふさわしい企図であろう。現実を、歴史を、「全体」として捉えるようなトータルな知をこの雑誌で提示していきたい。

発刊に寄せて

世界をまたにかける議論への渇望に満たされんことを!
イマニュエル・ウォーラーステイン

世界は今、決定的な転換点にある。これからの二五~五〇年に、われわれが属する既存の史的システムである資本主義世界経済は衰滅し、それを継承する、新しいひとつの、ないしは複数の、システムが誕生することになるだろう。われわれは、歴史的な選択の契機を迎えているのである。システムを構成する人々の全体としての選択がどのような結果になるかを知ることはできないが、その選択の過程に影響を与える方法は、ひとつならず存在する。われわれは行動しなければならない。しかも、その行動は、史的現実性を有するオルタナティヴについての知的な評価に照らして行われなければならないのである。

『環』は、西暦でいうところの二〇〇〇年という区切りの年に、新創刊される。『環』は、熟慮に支えられた意見と議論の場となることをめざしているが、それは、われわれが属する既存の史的システムの構造的な諸傾向の理解にはぐくまれたものであり、ブローデルのいうの考えに触発されたものでもある。われわれのすべてにとって、このような―――開かれていると同時に明確な社会的意識を持っており、我々の過去と未来の希望についての、過去の戦略の成功および失敗についての、そして道徳的・政治的選択についての、先取的な議論の場を提供するような―――雑誌の必要性は、きわめて切実である。願わくは、そのような議論の盛んなることを。願わくは、それが、世界をまたにかける議論への渇望に満たされんことを。そして願わくは、それが、創造的で想像力に富み、真・善・美―――統合されたひとつの全体としての―――への渇望にみなぎったものとならんことを。 (訳・山下範久)

できる限り国際的で、開かれた場であることを期待します。
ピエール・ブルデュー

わたくしが新しい雑誌に抱いている期待は、わたくしが藤原書店とはどのような出版社であるかをよく知っているからこその期待であることをご理解いただきたいと思います。なによりもまずこの雑誌が様々な新しい形式を追求することに力を注ぐことが大切であると考えます。

雑誌というのは、どちらかと言うと、それなりの伝統に閉じこもっているジャンルです。しかし藤原氏はその出版活動において完全に自由な立場におられるわけですから、その自由を存分に活用されて、新たな執筆者の発見と、そしてまた、形式面での新たな試みにおいて、創意を発揮されることを期待しております。わたくしが主幹を務めております『社会科学研究』Actes de la recherche en sciences sociales を例にとりますと、不思議なことに、これはおそらく映像を使用することを試みた世界で初めての学術雑誌であります。いわゆるイラストではありません。研究を補完し説明する資料です。これは小さなことではありません。社会科学において、社会学や人類学、また歴史学においても、資料のファクシミリや写真を使用することは大切なことであると考えます。それによって問題を可視的にして、読者の注意を喚起し、リアルなまなざしを向けるように仕向けることができるからです。こうして、残念ながら広く蔓延している、またフランスにおける社会科学研究に付きまとう、ある種の理論偏重主義を脱却することができるからです。これは小さなことではない、とわたくしは考えております。

もうひとつ、期待を述べておきましょう。雑誌というのは本とは違った仕方で重要なテクストを世に知らしめることができる手段です。昔の論文で、まだまったく世に知られていない、あるいは、よく知られていない論文、いずれにせよ、若い研究者や学生が簡単に入手することができない論文で、すぐれたものがたくさんあります。これらを掲載するのも一案であります。わたくしはまた、毎号、外国人の論文を少なくともひとつ掲載すべきであると考えます。誰もが自分なりの案を持ち合わせているでしょうが、必要とあればわたくしも、短くとも内容の濃い珠玉のような専門的論文のリストを提供する用意があります。

更に付け加えるとすれば、藤原書店が創刊する雑誌が日本の社会科学研究の国際化に寄与することを期待しております。日本には従来から、フランス語、ドイツ語、英語で書かれた研究成果に対する大きな関心が存在することをわたくしは知っております。それゆえにこそ、この雑誌ができる限り国際的であること、そして若い人々が推進する先進的な研究に開かれた場であることを心から期待しております。 (訳・加藤晴久)

雑誌とは、研究の場であると同時に、さまざまな考えが交差する場です。
アラン・コルバン

人文科学において、雑誌とは、研究の場であると同時に、さまざまな考えが交差する場でもあります。まず私の頭に浮かぶのは、雑誌がきわめて困難な企図であるという想いです。というのも、フランスの場合を考えると、出版情勢は、雑誌にとって決して追い風だとは言えないからです。とはいうものの、絶望するしかない、と言うのではありません。むしろその逆です。歴史学に関して言えば、私のこのような懸念にも、それなりの説明がつけられるでしょう。たとえば、アナール派の内部で「批評への転換」と呼ばれている動きがありますが、これは、その他の人文科学を援用して歴史研究を行おうという方法に対する、一連の問いかけのことです。長い間、このような動きが熱狂的に支持されましたが、この熱狂はもしかすると人工的な熱狂であったかもしれません。また、ある特定のことがらについて得られた成果が、必ずしも別のことがらを理解する手立てにはならないので、歴史として総括することのむつかしさを、ますます痛感してもいます。このために、人文科学、とりわけ歴史学の雑誌を創ることが、より困難になっているのだと思います。

それでは、雑誌はどのようにして立ち上げればいいのでしょうか? まず、その雑誌が単なる「郵便受け」になってはいけないということ、論文審査の委員会が要求の高さを示し、相当数の論文を却下しなければならない、ということでしょう。これは、雑誌を成功させるためには欠かせない条件でしょう。

以上のことは、形式的な問題です。内容に関して言えば、各号ごとに、ある特定のテーマをめぐって組むのでなければ、研究分野が多方面にわたっていても、相互に刺激を与えることは期待できないと思われます。そのテーマは、さまざまな人文科学のなかで専門を異にする研究者たちの、多様な眼差しの下に設定するのです。あるひとつの対象に、多様な眼差しを向けることで、その号に参加する各人の問いかけに拡がりが生まれます。 ですから、最も効果的なモデルは、各号ごとに一人の責任者、一人のコーディネーターを決め、そのテーマの展開をすっかりまかせるというものです。論文が編集委員会の手に渡るのは、そのあとになってから、という運びにするのです。このようなやり方をすると、作業は、雑誌のコーディネーターと編集委員会という、二段階を経ることになります。ということは、送られてきた論文の中から掲載すべきものを選出するのではなく、コーディネーターが(個人的に)執筆を依頼することになるわけです。少し不自然なやり方かもしれませんが、このおかげで、雑誌には、多少、本と同じような体裁を与えられることになります。私には、そういった体裁が、雑誌が生き残る条件であるように思われます。

この点については、ちょうどいいお手本があるように思います。それはパリ第一大学の雑誌です。現在で七号か八号目の、まだ比較的新しいものですが、内容的にきわめて豊かなものだと思います。『社会と表象(Societe et representations)』という題の雑誌で、スポーツ、身体、暴力、ミッシェル・フーコーに関する研究状況などをめぐって、次々と特集を組んでいます。この雑誌は、本当に、いま創るべき人文科学の雑誌のお手本というべきものだと思われます。

いくつか私見をお話ししてきましたが、これはすべてフランスのケースについて考えたものです。 (訳・渡辺響子)

「諸文明の環」「天地の環」への広がり
川勝平太

創立十周年に祝意を表します。藤原書店のアイデンティティは、『環』の前身になる『機』において、もっともよく表れていました。『機』には新著・著者の多面的な紹介、編集方針、周辺事情、読者の声など情報が満載されています。そこには「海」「女性」「フランス思想」「大学問題」など数々の枢要なテーマをみなで一丸となって追求していこうという姿勢が顕著です。はやりの言葉でいえば、透明性、説明責任を地でいくものです。『機』には出版を通して社会に貢献し、社会の参加を呼びかける公共的使命感が波打っています。Not for Profit の姿勢が爽快でした。既成の大書店が、方向性を打ちだせず、苦戦を強いられているのと比べるとき、出版に携わる者、いやひろく人々に、今、何をすべきかの羅針盤の役割を果たしてきました。それが内外にひろく共感をうんだ所以でしょう。その『機』が装いも新たに生まれかわる『環』は、執筆陣・書店・読者を結ぶ環にとどまらず、「諸文明の環」「天地の環」への広がりを感じさせます。宇宙的生命を輝かす良き人々の集まる「命の環」に育ってほしいと念じています。

新しい総合の知に期待して
中村桂子

新聞やテレビを通して社会を見ていると、未来はどうなるのだろうと暗い気持になる。けれども、日常生活で接する人々からは、なかなかよいサインが出されているような気がする。注目すべき新製品も、インターネット、コンピュータゲームなどの周囲ばかりが大きく報道されるけれど、台所のゴミを良質の肥料にするとか、高齢者の排尿を助けるなどという身近なところで、成長産業と期待される技術開発がある。農家を継ぐのでなく、やり甲斐のある職業として農業を選択する若者は眼が輝いている。

情報社会と言われ、知的所有権について大いに議論されているが、コンピュータの基本ソフトやDNAに関する基本情報などまでそれを主張していると、ますますお金に振り回されることになるだろう。むしろそのような基本は、本人の誇り、外からの感動と尊敬で裏打ちされるものにしたい。これも実際にその動きが出ている。 というわけで、学際とか国際とかいう言葉に惑わされずに、地に脚のついた、また一人一人の人間への信頼に根を置いた知や思想を汲みあげて、それを総合の知に組み立てることが大事な時になっていると思う。藤原書店が十周年を期して創刊する雑誌は、ここに眼を向けたものであって欲しい。

人間は自分自身を見つめ、自然を知り、考えずにはいられない生きものなのだから、この人間の力を充分生かしたい。

世界史のいまにおける知的な出会いの演出
子安宣邦

人との出会いは鮮烈に記憶していても、それがいつであったかはいつも私にはあやふやである。恐らく九三年のことであったと思われるが、ブルデューが二度目に来日し、藤原書店でセミナーを開くというので私は出かけていった。大阪大学の同僚であった杉原達氏を通して藤原さんからの誘いを受けてであったと記憶している。私がブルデューに会ったのはそのときがもちろん初めてであったし、藤原さんとも初めてであった。

大阪に帰った私は大学の授業でブルデューの印象を語りながら、「もう日本思想史は書かない」などと口走ったりした。それは藤原書店のセミナーでブルデューが西洋形而上学の伝統に対するデリダの脱構築のスタンスを批判したこととの関わりからいったことであったが、私の唐突な発言はいつも学生たちを面食らわせた。〈内からの精読〉からなる思想史的作業の呪縛から解き放たれた思想史の視座と方法とを模索していた私にブルデューは、その精悍な風貌とともに、言語を含む人間事象の強靱な〈外から〉の読み手として刻印された。しかしなぜ藤原さんはブルデューに私を引き合わせたのか。私のしている模索を知ってであるのか。恐らく編集者としての藤原さんの鋭敏な感覚からだろう。私は自分のブルデューとの出会いの体験を通して藤原さんの感覚に敬意を表している。

まさしく藤原さんの世界と日本とに向けた鋭敏な感覚からする藤原書店の出版活動は、われわれに壮大な知的な出会いを促し、出会いを実現させているのではないか。世界史のいまの要請に日本人として応えることができるために。藤原書店の新たな文化総合誌は間違いなく、世界史のいまにおける知的な出会いを演出し、実現する舞台となるものであろう。

小さな“手触り”がある“宝”
吉増剛造

『他者なき思想――ハイデガー問題と日本』を、著者(浅利誠、荻野文隆、フィリップ・ラクー=ラバルト、芥正彦、桑田禮彰)のおひとりの知己の方から、手渡しにひとしいかたちで持つことになったのが、藤原書店の“重力ある仕事”との接触の端緒であった。不慮の事故で膝を挫き東邦大学大橋病院に入院しているそのときに、精読した一冊だった。挿された手紙をとりだして再読し、その頁(二一三頁、浅利氏発言。“ハイデガーとツェラン”)からはや三年、ようやく膝も癒え(正座も可能になり、……)その頁からのつづき、スタイナーの『ハイデガー』(岩波同時代ライブラリー。絶版らしく、コピーで、大切に)を手にしている。手触りの、手渡しの重い、重力のある本たち……。駒場に二十五年近く棲んでいるのに、おそらくはじめて「教場」を訪ねた。フィリップ・ラクー=ラバルト氏の話をきくための“歩行”であった。巴里のブックフェアで藤原良雄氏、永畑道子さんと一緒だったとき、僕は杖をついて居た、……。しかし “宝”を拾った……。それが何であるかはまだわからないながらも小さな“手触り”がある。アラン・コルバン氏の名著(これは稀有の名著だ。……)『浜辺の誕生』や鶴見和子氏の著作も座右にある。不図綴った“宝を拾った……”は(“宝貝を拾った、……”でもあって、……)、そう、あたらしい書物への旅へのかすかな呼び声(の聞こえた刹那)であったのだ。