「日本人が私の本を読むとき、私は日本作家になっているのです」ダニー・ラフェリエール(Dany Laferrière 1953―)
1953年、ハイチ・ポルトープランス生まれ。小説家。4歳の時に父親の政治亡命に伴い、危険を感じた母親によってプチコアーヴの祖母の家に送られる。彼にとっての「最初の亡命」であり、創作の原点と後に回想。若くしてジャーナリズムの世界に入るも、23歳の時に同僚が独裁政権に殺害されたため、カナダ・モントリオールに亡命。
1985年、処女作『ニグロと疲れないでセックスをする方法』で話題を呼ぶ(89年に映画化。邦題『間違いだらけの恋愛講座』)。90年代はマイアミで創作活動。2002年より再びモントリオール在住。『エロシマ』(91年)、『コーヒーの香り』(91年)、『終わりなき午後の魅惑』(97年)、『吾輩は日本作家である』(08年)、『帰還の謎』(09年、モントリオールの書籍大賞、フランスのメディシス賞受賞。邦訳藤原書店刊)など作品多数。その他、映画制作、ジャーナリズム、テレビでも活躍している。
2010年1月、ポルトープランスを襲った大震災に遭遇、『ハイチ震災日記』(10年,邦訳藤原書店刊)を記す。
2011年9~10月来日。
2013年12月12日アカデミー・フランセーズ会員に選出。
1953年、ハイチ・ポルトープランス生まれ。小説家。4歳の時に父親の政治亡命に伴い、危険を感じた母親によってプチコアーヴの祖母の家に送られる。彼にとっての「最初の亡命」であり、創作の原点と後に回想。若くしてジャーナリズムの世界に入るも、23歳の時に同僚が独裁政権に殺害されたため、カナダ・モントリオールに亡命。
1985年、処女作『ニグロと疲れないでセックスをする方法』で話題を呼ぶ(89年に映画化。邦題『間違いだらけの恋愛講座』)。90年代はマイアミで創作活動。2002年より再びモントリオール在住。『エロシマ』(91年)、『コーヒーの香り』(91年)、『終わりなき午後の魅惑』(97年)、『吾輩は日本作家である』(08年)、『帰還の謎』(09年、モントリオールの書籍大賞、フランスのメディシス賞受賞。邦訳藤原書店刊)など作品多数。その他、映画制作、ジャーナリズム、テレビでも活躍している。
2010年1月、ポルトープランスを襲った大震災に遭遇、『ハイチ震災日記』(10年,邦訳藤原書店刊)を記す。
2011年9~10月来日。
2013年12月12日アカデミー・フランセーズ会員に選出。