略年譜
1926年 | 9月4日、クロアチアのカソリック教徒の父(イバン・ペーター・イリイチ)とセファルディのユダヤ教徒の母の間に生まれる。 |
1942年 | フィレンツェ大学で化学を、次いでローマのグレゴリアン大学で神学と哲学を学ぶ。戦後はザルツブルクで中世史を学んでいる。 |
1951年 | 研究のために立ち寄ったニューヨークでプエルトリコ人のスラムに遭遇し、ニューヨークの司教に願い出てプエルトリコ人街の教会の神父として赴任。 |
1956年 | プエルトリコのカソリック大学の副学長に就任。 |
1961年 | メキシコのモレロス州クエルナバカに国際文化形成センター (CIF) を設立し、ローマ法皇命の宣教師派遣を食い止めようとする運動を展開する。 |
1967年 | CIFが、ラテンアメリカと産業制度を研究する場「国際文化情報センター」 (CIDOC) へと改組され、世界的な知の交流が行なわれる。 |
1969年 | 司祭の資格を放棄し、教会活動から去る。 |
1970年 | 最初の著書The Church, Change and Developmentを皮切りにイリイチの著述活動が始まる。Deschooling Society(邦訳『脱学校の社会』(東京創元社、1977年)は世界的な反響を呼び、物議をかもす。 |
1973年 | Energy and Equity『エネルギーと公正』(晶文社、1979年) Tools for Conviviality『コンヴィヴィアリティのための道具』(日本エディタースクール出版部、1989年) |
1975年 | Medical Nemesis『脱病院化社会―医療の限界』(晶文社、1979年) |
1976年 | CIDOCが閉鎖されたが、その後も、メキシコ人スタッフが設立したクエルナバカ・ランゲージ・スクールでイリイチのセミナーは続けられた。 |
1980年 | 12月初旬初来日。80年代以降、イリイチは、アメリカ、メキシコ、ドイツ、日本とグローバルに活動を展開していった。米国のペンシルヴァニア大学では哲学、科学技術および社会学の客員教授に任命され、ドイツのブレーメン大学とハーゲン大学でも教えるようになる。 |
1981年 | Shadow Work『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う』(岩波書店、1982年) |
1982年 | Gender『ジェンダー―女と男の世界』(岩波書店、1984年) |
1986年 | H2O and the Waters of Forgetfulness『H2Oと水―「素材」を歴史的に読む』(新評論、1986年) 最後の来日(4回目)。 |
1991年 | 『生きる思想―反=教育/技術/生命』(藤原書店、1999年に再版) |
1993年 | In the Vineyard of the Text: A Commentary to Hugh’s Didascalicon『テクストのぶどう畑で』(法政大学出版局、1995年) |
2002年 | 12月2日、ブレーメンにて死去。享年76歳。 |