2023年12月21日

月刊PR誌『機』2023年12月号 巻頭「エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ氏を悼む」

 

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社主の出版随想

▼又、大切な人を失った。フランスのアナール派の第三世代の旗手であり、歴史家の巨人、エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ氏。享年九十四。
 今から45年前、名著『ナポレオン』『秩父事件』などで知られる歴史家、井上幸治氏から、千頁を超える大著を2冊手渡された。「貴方が今お考えのマルクス主義的でない歴史観は、この本に出ています。訳者ともよく相談され、貴方の希望を訳者に伝えたらいい」と。E・ル=ロワ=ラデュリ著『歴史家の領域Ⅰ・Ⅱ』(1973、1978)。
▼早速、当時気鋭の樺山紘一氏に相談する。樺山宅で約一時間余り、原書全体の5分の1をセレクトして、翻訳して300頁位にして頂くことをお願いする。翻訳期間は約1年。5人の共訳者が決まった。そして1980年12月に、『新しい歴史』と題して出版された。翌1月、朝・毎・読の各紙は同時に、本書を書評面で大きく紹介した。反響は凄まじかった。このすぐ後だったか、樺山さんを通じて、井上幸治氏と師弟関係の二宮宏之さんからテーマ別の「アナール論文選」を出版したいとの申し出があり、福井憲彦氏も参加され、4人で二宮宅で何回か編集会議をした。それが、『叢書 歴史を拓く アナール論文選』全4巻に結実。82年6月から刊行を開始。因みに、二宮宏之氏は、ラデュリ氏とは昵懇の関係。それ以降、何冊のアナール派の仕事を紹介してきたか、数えられないほどだ。
▼ラデュリ氏とは、83年11月に初来日された時に初めてお会いした。井上幸治氏と対談して頂く。時あたかも、氏のベストセラー『モンタイユー』が出たばかりで、氏の歴史観はいわずもがな、『モンタイユー』作品についても、わずか数時間であったが、肝胆あい照らす話がなされた。日仏の知識人が初対面でこのような時間をもつことができたことが奇跡のように思われた。
▼二度目の出会いは、拙の97年芸術文化勲章受章の際パリで。夕食をご一緒しながら、「アナールの歴史上のエポック論文を、先生の手で編集して頂くことは出来ませんか」という突然の提案に、「すばらしい! 仏にもないことだ。しかし、自分はすでに歳を取りすぎているので、助っ人を入れたい」。席を立たれ、相棒に電話。ビュルギエール氏も加えたオリジナルな企画が誕生した瞬間だ。その20年後、叢書『アナール1929-2010 歴史の対象と方法』(全5巻)が、ブローデル『地中海』訳者の浜名優美氏の監訳で、完結した。
▼最後にお会いしたのは、2018年12月、拙がアカデミー・フランセーズから「仏語仏文学顕揚賞」受賞で渡仏した際、ランチをご一緒した。目がご不自由で奥様に手を引かれてレストランに来られた。最後に「先生の『歴史とは何か』を出版させて頂きたい。口述でもいいですよ」とお願いすると、にやっと笑われたが、もう齢九十を目前にしてその力は残っていなかったのだろう。近くのアパルトマンに、雨に打たれながら奥様と相合傘で帰ってゆかれるお姿が今も目に焼き付いている。ありがとうございました。合掌(亮)

12月号目次

■「新しい歴史学」に貢献した歴史学者
山口昌子 「ル=ロワ=ラデュリ氏を悼む」

■『ジョルジュ・サンド セレクション』遂に完結
M・ペロー 「サンドは、何を求めて生きたのか」
大野一道 「今、なぜジョルジュ・サンドか」

■GDP至上主義でない真の「ゆたかな社会」
R・ボワイエ 「社会的連帯経済」とは何か
山田鋭夫 「自治と連帯のエコノミー」とは何か

■弱さと矛盾を抱えたありのままのヴェイユ
鈴木順子 「シモーヌ・ヴェイユ 「歓び」の思想」

〈連載〉山口昌子 パリの街角から12「暗い日々」
    田中道子 メキシコからの通信9「マヤ遺跡大規模発掘」
    宮脇淳子 歴史から中国を観る48「満洲の朝鮮人」
    鎌田 慧 今、日本は56「日韓 谷間の深い闇」
    村上陽一郎 科学史上の人びと9「スコープス」
    小澤俊夫 グリム童話・昔話9「グリム兄弟の語り手たち」
      方波見康雄 「地域医療百年」から医療を考える31「後藤新平『生を衛る』の萌芽4」
    黒井千次 あの人 この人9「乾いた駅員」
    山折哲雄 いま、考えること9「「啐啄」の弁証法」
    中西 進 花満径93「目の話(10)」

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