社主の出版随想
▼1971年6月、暑い日だった。中之島公会堂は、2千人近い人々で埋め尽くされた。野間宏著『青年の環』(全5巻)完成記念講演会と題された大きな垂れ幕がかかっていた。周囲には、小野義彦をはじめ、戦後野間宏と活動を共にした姿もチラホラ見えた。いよいよ野間宏が壇上に上がり、まず花束の贈呈。この後、講演が始まった。
▼なかなか言葉が出ない。「立て板に水」の前二者と較べると正反対の態度。「こんな高い所からしゃべらせてもらっていいんでしょうか。先ほどは、きれいな花までもらって。これは、これまで苦労された皆様方に差しあげるもので、わたしのようなものが、頂くわけにはいきません。」と一言一言嚙みしめながら訥々と発する言葉。この『青年の環』は、野間が四半世紀をかけ、書き続けてきた8千枚の大作だ。“全体小説”をめざして、文壇では稀有な仕事であった。それだけに完成した時は、文壇が騒然とする位の大きな地響きが轟いたものだ。埴谷雄高、大岡昇平、井上靖、水上勉ら、多くの知友が寄稿した『「青年の環」論』も出版された位だ。
▼この『青年の環』完成後、岩波書店の『講座 文学』編集責任。「新しい時代の文学」に向けて、当時世界では「生命科学」が誕生し、DNA研究、分子生物学が広がり、野間は、「生命とは何か」の問題にも果敢に挑み、次作「生々死々」の連載を始めた。他方、この間も、雑誌『世界』では、「狭山裁判」の連載を76年1月から開始。「差別」という切実な問題。人が人を本当に裁けるのだろうか、という深くて広い問題に挑戦。後に、小社から『完本 狭山裁判』として全三巻本として出版した。多くの方に刊行委員になってもらった。8千枚を超える長篇。この間野間は、膨大な「裁判調書」を読み解き、取材も重ねながらこの超大作を仕上げたのだ。
▼亡くなる2週間前に、「親鸞」について、俳優の三國連太郎さんと、箱根で、三日三晩語って戴いた『親鸞から親鸞へ』が出来上がりご自宅にお届けした。80キロを超える巨軀が50キロも割るように。しかし、最後の握手だけは、しっかりと力強いものだった。(亮)
11月号目次
■カミュの戯曲二作、 演劇人による新訳
松岡和子・松井今朝子・中村まり子 『戒厳令』鼎談
篠井英介・中村まり子 『正義の人びと』対談
岩切正一郎 『戒厳令』『正義の人びと』について
■森有正の核心「悲しみと慰めの融和」を半世紀探求
大森恵子 「哲学者、森有正の思索を辿る」
加藤丈夫 「「知の巨人・森有正」の集大成」
■「全体小説」を構想し、時代と格闘した野間宏の核心
尾西康充 「戦後文学の旗手、野間宏が問うたもの」
■追悼 フランスからの報告
山口昌子 「H・カレール=ダンコース氏の国葬」
〈連載〉山口昌子 パリの街角から11「英国コンプレックス」
田中道子 メキシコからの通信8「フィエスタ・メヒカナ」
宮脇淳子 歴史から中国を観る47「満洲の日本人」
鎌田 慧 今、日本は55「同調圧力の発生源」
村上陽一郎 科学史上の人びと8「ヴントとワトソン」
小澤俊夫 グリム童話・昔話8「土地言葉と艶話」
黒井千次 あの人 この人8「教室の自然児」
山折哲雄 いま、考えること8「蚕と繭の弁証法」
中西 進 花満径92「目の話(9)」
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