2023年03月24日

月刊PR誌『機』2023年3月号 巻頭「後藤新平の「衛生の道」とは?」

 

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社主の出版随想

▼後藤新平という男が、その時居なかったら今の日本は在るだろうか、とふと思う時がある。日清戦争に勝利して国内は沸いていたが、憲法発布後まだ6年、当時大清帝国では伝染病コレラが蔓延し、帰還兵をどうするかが一大事となった。この時に抜擢されたのが後藤新平。しかも急を要する仕事。臨時陸軍検疫部長・児玉源太郎は、石黒忠悳に命じると「この仕事は、後藤新平を措いて他にはござらぬ」と。後藤に直に会った児玉は、一瞬にして「お前にこの仕事を任せる。但し時間がないので、3ヶ月でやれ」と。この阿吽の呼吸がなかったら、戦争には勝ったものの国内でコレラによる大量死は免れなかったであろう。この児玉―石黒―後藤という稀代まれともいうべき人間が居たから、今日在るといっても差し支えないだろう。
▼やはり特筆すべきは、首都圏直下に起きた関東大震災である。この1週間前に加藤友三郎首相が亡くなった。4日後に山本権兵衛が首相に。その3日後、未だ内閣が組閣されぬ9月1日に大地震が起きた。翌日、後藤は内務大臣を受け、その2日後に「帝都復興の議」を作成し、6日に閣議に提出する。帝都復興院を作り、その総裁となる。以後後藤は、不眠不休で、この首都東京の復興を成し遂げていった。議会で当初立てられた予算は政友会らの反対に遭い大幅に削減されるものの、後藤はじっとそれに堪えた。しかし運命とは皮肉なもので、120日足らずの内務大臣であった。その年の暮れの27日、摂政宮が襲われる虎ノ門事件が起こり、山本内閣は引責総辞職。後藤も職を解かれた。しかしこの数ヶ月で復興プランを作り上げ、人の配置や仕事も決定していた。後は、その仕事はかなり縮小を余儀なくされたものの、大筋後藤が描いたプランは、進められていった。現在の環状道路などはまさにその一例である。「衛生」のために、いかに都市は作らねばならぬか? 「都市は市民が作るもの」とは、後藤が1920年暮れに東京市長になった時の台詞である。この時後藤は、無給で23年春までに、腐敗汚職した東京を建て直した。
▼この5年、後藤新平の生涯を貫く思想とは何かを考え、研究会の中で学んできた結果が、「衛生の道」という言葉であった。今尚、コロナ感染症でパンデミック騒動をしているわが日本に、今後藤新平が居たら、どう民に語りかけただろうか、と思うのは拙一人ではあるまい。(亮)

3月号目次

■別冊『環』28「後藤新平――衛生の道」出版
後藤新平の「衛生の道」とは?
自治衛生と地方 笠原英彦
「衛生の道」の広がり 伏見岳人

■ロシアとは何か? その実態とは
ロシアとは何か? M・ホダルコフスキー
ホダルコフスキーさんのこと 宮脇淳子

■占領期、女性政策はどのように作られたか
占領期女性のエンパワーメント 上村千賀子

■映画「大地よ」4月下旬~全国ロードショー!
妣たちの震えに同調して 今福龍太
心の底に命の声を聴くようです 加藤登紀子

〈連載〉「地域医療百年」から医療を考える24「町医者と患者さん(1)」 方波見康雄
    パリの街角から3「デモ・ストはフランス名物」 山口昌子
    歴史から中国を観る39「唐詩に歌われた遊牧民の住居」 宮脇淳子
    今、日本は47「恥辱の弧状列島」 鎌田慧
    花満径84「目の話(1)」 中西進

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