2022年10月24日

月刊PR誌『機』2022年10月号 巻頭「渋沢栄一の孫とアイヌの詩人が、「人間」について徹底対話」

 

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社主の出版随想

▼今年は、日本に鉄道が敷設されて150年。これまで人力や馬・牛の力、自然の力でしか移動できない生活を送っていた日本人が、石炭を燃やしてそれを動力に変える蒸気機関車を西欧から導入した。西欧に遅れること100年。この頃の人びとは、石炭を燃やしてエネルギーを生み出し、その力で多くの人や物を運ぶことにどんな夢を抱いていたか。あの“シュポシュポ”という音、汽笛も、人間に前進する大きな力と希望を抱かせてくれる。
▼当初、民に夢を抱かせた鉄道も、早々と日本財政のゆき詰まりから、簡単には進展せず、民営の鉄道が広がる。鉄道の国営か民営かという問題は、設立当初からあった。明治14(1881)年、後藤新平の岳父、安場保和らが、民間初の日本鉄道会社を創る。10年後には、上野―青森間全線が開通、民間といっても半官半民のような会社だったが、その15年後の明治39(1906)年、鉄道国有法が3月31日に公布され、鉄道の国有化が実現する。当初、安場らも殖産興業の一環として、鉄道事業に力を入れるが、鉄道建設には、当時としても財政的に多額な費用を要した。日清・日露戦争に勝利はしたものの国家財政はかなり逼迫していた。その上での鉄道の国有化である。
▼近代国家を建設する上で何が重要かを、その頃の後藤新平の足跡から辿ってみたい。
 1905年9月、日露戦争終結の講和条約が調印される。この条約で、日本は満洲南部の鉄道、満洲の租借権、韓国の排他的指導権を獲得する。この頃、後藤は、台湾の民政長官として、台湾の近代化の礎を作るために、東奔西走していた。翌年、満鉄総裁に予定されていた児玉源太郎の急逝もあり、満鉄の初代総裁を引き受けることになった。1908年7月、第二次桂内閣組閣にあたり、満鉄の逓信省管轄を条件に、逓信大臣を受諾。12月、鉄道院が官制公布され、初代の鉄道院総裁を兼務する。後藤にとって、鉄道は、国民が夢と希望をもって生きてゆく乗り物であり、輸送手段であった。
▼遡ること20年前、医学者であり、衛生官僚であった後藤は、“国家の礎は、衛生にあり”という言葉を遺している。「衛生(=生命を衛(まも)る)」が、後藤新平の生涯の関心事であり、政治家としてのミッションであったこと。鉄道は、国有(公有)でなければならない、と。1987年、国鉄が民営化された時から、現在の日本社会の悲劇は始まったといっても過言ではなかろう。(亮)

10月号目次

■2人あわせて190歳、若者たちへ贈る
渋沢栄一の孫とアイヌの詩人が、「人間」について徹底対話 鮫島純子・宇梶静江

■感染制御医が、その先駆性に光を当てる
「空気感染」対策の母、ナイチンゲール 向野賢治

■トッドをわが国に紹介した第一人者が描く全体像
2つのトッド、その展開と変遷 石崎晴己

■19世紀末、日仏の芸術交流に真の貢献
美術商・林忠正の軌跡 高頭麻子

■ソ連最後の最高指導者を追悼する
ゴルバチョフの評価 山口昌子

〈リレー連載〉近代日本を作った100人103「幸徳秋水――非戦論と無政府共産主義」 山泉進
〈連載〉「地域医療百年」から医療を考える19「水俣に「当事者」であることを学ぶ」 方波見康雄
    歴史から中国を観る34「「支那」という漢字が生まれた理由」 宮脇淳子
    今、日本は42「亡国の三代目たち」 鎌田慧
    花満径79「神となり仁者となった天皇」 中西進
    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―74(最終回)「ユダヤ人とは何か」 加藤晴久

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