2022年11月22日

月刊PR誌『機』2022年11月号 巻頭「エマニュエル・トッドとは何者か――トッド最新刊 『われわれは今どこにいるのか』 を読んで」

 

前号    次号



 

社主の出版随想

▼以前もこの欄で紹介したことがあるが、明治・大正・昭和を疾風怒濤の如く生きぬいた後藤新平は、国家の一大事の時に、常に声が掛かった。しかも、それに応えて身を惜しまずやり抜いた男である。最初は、1895年日清戦争後の帰還兵対策。いくら大清帝国に勝利しても、コレラに罹患した多くの患者をそのまま上陸させては本土にコレラが蔓延する。しかし、時間がない。誰かいい奴は居ないか、ということで探すと、当時、相馬事件に連座し、衛生局長を辞して野に下っていた後藤しかいないことを、石黒忠悳は児玉源太郎に進言した。児玉は、一目見て、後藤ならやってくれるだろうと決断した。後藤は、戦勝に沸く23万人の帰還兵の検疫事業を瀬戸内海の三小島でみごとに遂行し、国家存亡の危機を救ったのである。しかし、それには、後藤が20年に亘って医学と衛生学を世界から学んできたことを忘れてはいけない。後藤は、20代半ばに、オーストリアのローレッツ博士から衛生学を学び、伊藤博文が心酔したローレンツ・フォン・シュタインの大著『衛生制度論』の独原書を翻訳した。1890年の独留学の1年前には『国家衛生原理』を出版し、留学前に書き上げた700頁を超える『衛生制度論』を石黒に託し、出版する。時に、後藤は33歳。2年の留学でDr.論文を書きあげ帰国。衛生局長に。先の検疫は3年後の出来事である。石黒―児玉の眼力もさることながら、後藤新平という男の胆力に舌を巻く。
▼2つ目は、来年100年を迎える首都東京を直撃した関東大震災である。この時あまり知られていないが、数日前に前総理が急死し、次に立った山本権兵衛が内閣を組織している途上で、内閣(行政)がなかった。つまり、指揮官たる内務大臣が不在だった。その3年前に渋沢栄一らの懇願で東京市長を23年春まで務め、その5年前から、都市問題研究会を主宰してきた後藤には、都市はいかなるものでなければならないかの構想は作り上げられていた。山本首相からの内相就任要請を一旦は断ったが、再度の要請で自分しか居ないと決断し、即座に大震災の処理に当った。アメリカからもチャールズ・ビーアド博士の再来日を招請。この間の1日1日の後藤新平の八面六臂の大活躍は、東日本大震災後、半年で後藤新平研究会が総力を結集し作成した『震災復興 後藤新平の120日』を参照戴きたい。
▼ここに、東京都教育委員会発行の令和4年版東京都道徳教育教材集・小学校3・4年版『心しなやかに』がある。目次を見ると、第2章「さまざまな生き方に学ぶ」の巻頭に、後藤新平のことが何と8頁にも亘って取り上げられ、「未来に生きるまち、東京」という大見出しで書かれている。知人から子供の教材に後藤が載っていることを知らされてわかったが、東京都民の子供たちに後藤新平のことを教えてくれているのを知って本当に嬉しく思う。何といっても、子供たちが、未来の社会を担ってくれるのだから。都教育委員会に深謝したい。(亮)

11月号目次

■現代世界を鋭く見抜くトッドの全貌
エマニュエル・トッドとは何者か 石崎晴己

■その家族史から浮き彫りにされた近代日本
稀代の名優、森繁久彌のルーツを遡る 楠木賢道

■愛着・一体化・崇敬……樹木をめぐる感情の歴史
木陰の歴史 A・コルバン

■大好評自伝『大地よ!』著者、渾身のメッセージ
アイヌ力よ! 宇梶静江

■内部被ばくで明かす原爆・原発被害の真実
毒物テルルの悲劇 山田國廣

〈リレー連載〉近代日本を作った100人104「西田幾多郎――近代日本を作る哲学」 氣多雅子
〈連載〉「地域医療百年」から医療を考える20「水俣に『問診』を学ぶ」 方波見康雄
    歴史から中国を観る35「中国の少数民族政策」 宮脇淳子
    今、日本は43「ふたつの墓碑」 鎌田慧
    花満径80「カムイコタン・吉野」 中西進

10・12月刊案内/読者の声・書評日誌/刊行案内・書店様へ/告知・出版随想