2020年02月21日

『機』2020年2月号

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社主の出版随想

▼早や1月も過ぎ、2月に入った。しかし、世界の不安は、一向に衰えるどころか日に日に増している感がある。昨年暮れ中国の武漢から始まった新型コロナウイルスの感染が世界に拡大してきている。百年前、第一次世界大戦のさ中に発生した“スペイン・インフルエンザ”は、1920年まで続いたが、戦死者の5倍の5千万人の死者を招いた。わが日本でも、内地だけで45万人、外地を入れると70万を超える死者数に達した。元々人類の歴史は感染症との闘いの歴史ともいわれるが、一旦発生すると、現代の文明社会は脆さを露呈する。とにかく交通のスピード化で、昔なら1カ月はかかる距離をわずか10時間で。又情報の場合は、何千キロ離れた所でも瞬時に往来する。ということは、マイナス面も同様ということだ。とかく人間は、自分にとって好都合のことしか考えないから負の連鎖など頭になく日常を過ごす。しかし大変動が起きると、この正負両面を否応なくつきつけられるのだ。


▼今年は年始早々、「後藤新平」という4文字が新聞紙面を賑わせている。元旦に『中日・東京新聞』の「こちら特報部」のコラムに、『産経新聞』の「正論」で2回。同紙「東京特派員」欄とわずか1カ月余りにタテ続けに出ている。昨夏から秋にかけて、小社から『後藤新平と五人の実業家――渋沢栄一・益田孝・安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎』(後藤新平研究会編)と『国難来』(後藤新平著)を出版した。後藤新平は、百年前に、幕末・明治・大正・昭和初期という困難な時代を、多くの人びとの助力を頂きながらも、無私の精神で社会に奉仕し、果敢に生ききった人間である。そういう人間は居るようでいて、そう多くは居ないから光が当たるのも当然ではあるが、百年以上も前の人間が、この一月余りで4回も取り上げられるのはいささか異常なことである。それだけ、現在、後藤新平のような人間の再来が待たれているのかもしれない。


▼先日も、アフガンの近代化、インフラに貢献された中村哲医師の追悼に多くの人々が心寄せる記事があった。今から34年前、インドの砂漠に数千キロの水を引き、インド“緑の父”と謳われている1人の男が静かに息を引き取った。杉山龍丸。かつて鶴見和子さんからご生前の身辺整理として、龍丸が撮ったインドの朝陽の写真を貰ったことがある。「変わった方でねえ、ちょくちょくわが家に遊びにきたの。しょっちゅうインドに行ってると聴いてるわ」と。どの程度龍丸のことをご存知だったかは知らぬが、拙の部屋に今もこの写真は飾ってある。いわずもがなこの龍丸こそ、杉山茂丸の孫であり、夢野久作の息子である。茂丸と後藤新平との関係は、かなりなもので書簡だけでも百通は超える。夢野久作は、鶴見俊輔さんの立派な評伝がある。にもかかわらず、龍丸を知る人は少ない。自分の資産をすべて擲ってインドの緑化のために尽くした人をわれわれは決して忘れてはなるまい。アジアの人民がこれから手をつないで生きることが、今最も大切なことであると信ずる。(亮)

二月号目次

■失われしアイヌの精神を追い求めてきた生涯
今、アイヌの精神性を問う 宇梶静江

■ブルデュー編『世界の悲惨』全三分冊、完結!
我らが悲惨な国家 P・ブルデュー

■第10回「河上肇賞」を受賞した気鋭の野心的作品
日本の「近代家族」はどのようにして誕生したか 大石茜

■「公共」とは何か? 現代の諸問題を「公共」から見る
世界の公共のあり方を問うことは、職場の日常のあり方を問うこと 中谷真憲

■全著作〈森繁久彌コレクション〉第3回配本
森繁さんとの東宝での15年間 宝田 明

■〈特集〉石牟礼道子さん三回忌に思う
読まれることを待つ石牟礼文学 三砂ちづる

〈リレー連載〉近代日本を作った100人71「江藤新平――司法改革の先駆者」 星原大輔

       沖縄からの声Ⅶ―3(最終回)「首里城再建~沖縄から琉球へ!」 石垣金星

〈連載〉アメリカから見た日本2「日本語の無駄なエネルギー」 米谷ふみ子

    歴史から中国を観る2「中国人のナショナリズム」 宮脇淳子

    今、日本は10「ゴーン氏逃亡の後で」 鎌田慧

    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―42「もうひとつのメッセージ」 加藤晴久

    花満径47「高橋虫麻呂の橋(4)」 中西進

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