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社主の出版随想
▼今年もあと残りわずかになってきた。わが国は相変らず長い長いトンネルの中から抜け出せないでいる。円安基調は変らず、これまでにない程の多くの観光客で都市はその対策に四苦八苦している。政府の対策は如何? 観光国としてこれから立とうと思うなら至急に対策が必要である。手本は、欧州の国から学べば良い。
▼後藤新平は、齢六十を過ぎてから、『自治生活の新精神』(1919)という小著を著し、自治運動のために全国行脚をはじめた。これは、これから日本が近代化するに当たって、オカミ任せではなく、自分で責任をもって行動することを説いたものだ。人間だけではない、生物は本能として「自治」(自らが自らを治める)的精神を持って生きていることを、医学、生理学、衛生学の博士たる後藤新平は諄々と説いた。後藤は、山縣以来の自ら治まる自治ではなく、一人一人の自治の重要性を提示した。時は、最初の欧州戦争(第一次世界大戦)が、スペイン・インフルエンザの世界的大流行により――死者は5千万~1億人といわれる――終結を早めた頃だ。
▼国家は、国民の生命を衛るために存することは言を俟たない。後藤は「政治は奉仕である」「都市は市民がつくるもの」とも語る。現今の日本や世界の状況を見ると、政治を動かしているのは一部の権力者で、殆んどの民衆はその権力に従属している構造になっているのではないか。しかもその主従関係が複雑に仕組まれているので、無意識の内に権力に取り込まれていることになる。民衆の自覚が必要な時だ。弱者による弱者の収奪も日常茶飯事だ。永遠に続くことかもしれないが。
▼「差別」の重層構造をテーマに全体小説を構想したのは、戦後文学の旗手と謳われた野間宏である。野間は、74年の高裁判決の後、「狭山裁判」を雑誌『世界』に命尽きる迄16年間毎月連載した。野間の死後も狭山裁判再審請求は続けられたが、再審の道が開かれぬまま石川一雄氏は今年3月亡くなった。野間は97年に大作『完本 狭山裁判』を刊行した。この編集の過程で、野間宏の「人が人を本当に裁くことができるのか?」という鋭くかつ重い問いに気づかされた。(亮)
12月号目次
■現代に生きる、変わらぬ“医の心”
槇 佐知子 「『医心方』とは何か」
■身体/社会と環境との関わりから「風景学」を刷新
中村良夫 「『辞典 風景学』の誕生」
「『都市をつくる風景』新版刊行に寄せて」
■先月刊 『日本に生きた〈ディアスポラ〉』
メスロピャン・メリネ 「国境を越えた新たな対話へ」
■先月刊 『「手仕事」ルネサンス』
三砂ちづる 「石垣昭子の世界にふれて」
笠井賢一 「祈りと芸能」
■小倉孝誠 「〈日本翻訳出版文化賞〉蘇ったゾラ」
■平島(奥村)みさ 「鶴見和子研究会の発足」
〈連載〉山口昌子 パリの街角から36「パリ・モード界に黄禍騒ぎ」
田中道子 メキシコからの通信33「反政府『Z世代』デモ」
宮脇淳子 歴史から中国を観る72「ジューンガルはなぜ『最後の遊牧帝国』と呼ばれるのか」
鎌田 慧 今、日本は80「都電最後の日」
村上陽一郎 科学史上の人びと33「ニュートン」
中西 進 花満径117「西欧哲学との知的対峙」
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