2006年08月01日

『機』2006年8月号:〈鼎談〉「人口問題」を問い直す 速水融+宇江佐真理+片山善博

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宇江佐
「少子高齢化」というのは、セットで語られていますが、もともと「少子化」と「高齢化」は、切り離して考えるべきですね。政府の言っていることには、子供を増やして、その子供を早く大きくして税金をとって老人を養おうという、いかにも浅ましい考えが見える。
 少子化現象というのを最初に感じたのは、長男が小学校に入学する時でした。クラスが二つしかなかったんですね。私も同じ小学校を卒業しているのですが、私のときは十クラスもありました。その後十年も経たないうちに今度はクラスは一つになってしまいました。こうなると、いずれ近くの小学校と統合される。しかしこれは悪いことばかりではないと思います。子供の数が多ければ、切磋琢磨する気持ちが強くなって、そこから新しい才能や新しい発想が芽生えることも事実だと思います。今は子供の数が少ないのですから、逆に行き届いた教育ができるチャンスなんですね。切磋琢磨が望めなくても「今だからこそできる」ということをもう少し考えてもらいたいと思います。
 メディアでは「少子化、少子化」とばかり言っていますが、子供を産む、産まないというのは個人の意思の問題です。子育てに忙殺されて気がついたら歳をとっていた、というような人生を今の女性は決して望んでいない。余裕を持って子育てをして、なおかつ手がかからなくなったら自分の時間を持ちたいと考えています。子供の数をふやそうと政府が躍起になっても、出産可能な年齢の女性たちがそれを望まなければどうしようもない。
 少子化の数値は、最低値を更新し続けているわけですが、ついには子供がいなくなるというところまでは至らないはずです。世の中の景気と同じで、山あり谷あり、ですから。今は、むしろ子供が少ないからこそできる政策を政府や地方自治体に期待したいと考えております。


片山
 日本の人口問題というのは、これまで常に、人口の過剰をどう解決していくかという問題だったはずです。歴史を眺めれば、今日、一億二千万人を超えた人口が少し減るだけで大騒ぎするというのはおかしいのではないでしょうか。
 過剰な人口を養うには、生産力を向上させ、経済成長しなければいけない。だからこそ日本は国是として会社人間型社会になった。生活を楽しむよりも生産を重視ということです。知らず知らずそう教育もなされてきた。そうして生活を楽しまず、会社や仕事を優先する社会になってしまったわけです。
 子供が産まれるというのは、一家にとっては一大事です。しかし男性が育児休暇を取るなどとんでもないという風潮です。これは異常なことだと思いますが、こういう状況であれば、子供を産まなくなるのも当然です。最近ようやく、会社中心ではなく、家庭や地域で男性こそもっと役割を果たしましょうと、少しずつ機運が変わってきました。こういう動きも、ある種必然です。
 ただ、当面は少子化と同時に高齢化が進みます。全体の人口に占める労働人口の割合が減り、高齢者が増える。そうなると、能力が少しずつ衰えてくる高齢者にも応分の労働や社会の中での役割を果たしてもらわなければならない。これは高齢者だけでなく、障害者の方についても同様です。個性や能力に応じて、多様な働き方ができ、所得が得られるような社会にしなければならない。
 日本が少し不幸だったのは、会社人間中心の社会が変わらないうちに、男女共同参画が進んでしまったことです。女性が仕事を存分にできるようになっても生活を楽しめない。そこが歪な構造になっている。同時に男性も、男女共同参画として家庭の中で役割を果たしていかなければならない。社会の中での男女共同参画は進んでも、家庭や地域での男女共同参画が進んでいない。後者の男女共同参画も進めて、生活の質を高め、生活を楽しめるような社会にしていくことこそ、長い目で見た場合、人口問題、少子化問題などと言われている問題を解決に導くことになるのではないかと思います。

速水
 人口が増えるということは、そこで何かが起こることを意味します。人口減少でも同様です。それについて何が予測できるか。日本の人口が減少とまではいかないけれどもほぼ停滞し、短期的には減少したのは江戸時代後半。あのような江戸の文化は、人口が一定、領土も一定という状況で花開いた文化です。そういう意味からも、人口が減ることを心配する必要はない、むしろ減るべきであるというのが私の立場です。とは言っても、人口減少の局面で必ず生じるのが老齢化の問題です。どんな状態になろうが、人には人権があります。これはよほどうまくやらないと対応できない大問題です。いずれにせよ、超長寿社会がやがて到来してきます。
 そうした高齢化と同時に少子化が進んでいるところで、いろいろと問題が生じてくるのですが、日本の場合、とくに問題なのは、その少子化のスピードです。
 合計特殊出生率(TFR)という指標があります。これは一人の女性が生涯何人の子供を産むかという指標ですが、現在の日本では、これは一・二五になっています。日本はもともと二以上あったのが、急に二を切り、一・二五まで低下していきました。この減少のカーブが急だと、その分、高齢者の割合が一気に増大するわけです。このカーブが比較的緩やかであれば、政府や地方自治体にとっても高齢化対策が比較的立てやすい。日本ではその落ち方が急激であるため、対応も難しくなっています。日本の少子高齢化の問題は、合計特殊出生率の低下が急速であることの代償であるわけです。
 日本でなすべき対応としては、人口減少化をきちんと前提とした政策が立てられるべきだと思います。その際に踏まえるべきは、人口減少と言っても、全国で一様に減少するわけではない、ということです。全体での減少と同時に、むしろ一極集中が生じるのです。例えば東京の人口は減っていません。それに対し、四十七の都道府県のうち、約半分は人口減少県です。こうした一極集中の動きを、何とか政策の力で食い止められないものでしょうか。そうでないと地方がもう空洞化してしまいます。

(はやみ・あきら/歴史人口学者)
(うえざ・まり/作家)
(かたやま・よしひろ/鳥取県知事)
※全文は『環』26号に掲載(構成・編集部)