混乱と改革、屈辱と希望……
日本の戦後は「占領」に始まる。
無条件降伏という意味も現実も判然としないまま、日本人が初めて外国からの支配者を仰いだ1945年秋。その日々に人々は何をし、何を考え、将来に何を思い描いていたか。新聞や日記など残されたさまざまな記録から、一日一日の「時代の空気」を求めるような再現ドキュメントを試みたのが、本書『ドキュメント 占領の秋 1945』である。
憲法をはじめ社会の諸制度は「旧」のまま未知の時代に踏み込んだこの時期は、天地も定かならぬ創世記のように混沌としている。その象徴の一つは闇市だろう。この秋を過ぎて、新制度が次第に形を現し、「戦後」と呼ばれる時代の骨格を成して今日の私たちの社会がある。
その出発点であるあの日々に、タイムスリップできたらと夢想する。混乱と改革、失敗と創造、屈辱と希望が交わった「占領の秋」に、一瞬であろうと、いま私たちが生きる時代と社会の原像や何かしらの「ヒント」を見るかもしれない。
地域の占領史
全国に戦争体験記、戦災誌は数多くあるのに「占領体験」の記録は少ない。
1945年8月末から進駐した連合国軍(ほとんど米軍)は最多時には四十数万の将兵が全国に展開した。52年の講和条約発効でその時代は終わる。その間の政治史・外交史的研究、大都会風俗の調査・記録などはかなり進んでいる。しかし地域社会の日常で人々がどう進駐軍を受け入れ、折り合いをつけたか。記録は乏しく、証言できる人も限られてきた。
地域ではどんなことがあったか。例えば、山形県東根市の神町。戦時中海軍の飛行場が急造され、戦後の45年9月19日、700人の米軍部隊が進駐した。当時の山形新聞は記す。「米兵たちが駅頭に集合、軽快な歩調をそろえて宿舎に向かったが、鉄兜に自動小銃の武装部隊を迎える神町町民はひっそりと家に入って一人の顔も見せなかった」
人々は「ローラーでつぶされる」とうわさした。肥を満たした桶を玄関に置いた。米兵はこれが苦手だという。大まじめだ。今まで「鬼畜」と教えられてきた連中が来るのだ……。
神町駅は駅舎を新築、サーチライトも備え付けられた。水洗トイレ、電熱湯沸かし器。ボーイやポーターまでいた。享受するのは米軍将兵だけだった。
こうした各地にあったはずの「町や村の占領時代」は年を追って証言を得るのは難しくなっている。口にしたくない、記録に残したくない事実もあるだろう。特殊慰安施設については文書記録をほとんどしなかった自治体もある。
しかし、私たちが今呼吸している「戦後社会」の原点は占領期であり、基本的な諸制度や日米関係はあの時代から生まれた。だからこそ、地域の占領史の多くが断片的に語られるばかりでこのまま消えていくに任せてはならないと思う。記録し整理して残すことを今こそ進めてほしい。単なる懐旧ではない。今の時代を考えさせる、示唆に富んだ事象がそこにあるはずだ。
(たまき・けんじ/毎日新聞編集局次長)
