2005年12月01日

『機』2005年12月号:『論語』の「語」論 一海知義

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『論語』の「語」とは
 ゴロンと寝ころんで、気楽に『論語』の話を聴こう、というのが、連続講義「論語語論(ロンゴ・ゴロン)」の趣旨だった。
 二か月に一度上京して、十人ほどの受講者を相手に講義と問答を始めたのは、昨年の秋である。受講者は、日本思想史家、宗教学者、編集者、翻訳家、写真家など、それぞれ専門分野を異にする多彩な人々で、『論語』や中国思想の専家は一人もいなかった。
 私自身も『論語』の一読者にすぎず、中国思想については門外の徒である。ただ中国古典文学を専攻する者として、『論語』の中に出て来る「語」(言葉)については、以前から興味があった。
 そもそも『論語』の「語」とは、何か。「論語」という二字を素直に読めば、「語ヲ論ズ」となる。しかし『論語』は「言語論」ではなく、孔子の「言行録」である。それをなぜ「論語」というのか。
 いわゆる諸子百家の書は、孟軻のそれを『孟子』、墨てきは『墨子』、荘周は『荘子』というように、姓に「子」をつけて呼ぶのが普通である。しかるに孔丘の書を『孔子』といわず、『論語』と称するのは、なぜか。
 こうした疑問をあらかじめ設定して、自問自答する。講義はおおむねそうした方法ですすめた。


『論語』で『論語』を読む
 設問のいくつかを例示すれば、たとえば、『論語』述而篇に、「子は怪・力・乱・神を語らず」と見えるが、別の篇では時に「神」(神霊)のことをしゃべっている。なぜここで「語らず」と言っているのか。「語」には何か特別の意味があるのか。また、孔子は無神論者だったのか、どうか。
 『論語』はエロティシズムから最も遠い書物のように思われているが、「女」という字が十九回も出て来る。なぜか。孔子はどんな女性観を持っていたのか。
孔子は酒飲みだった? 郷党篇に、「酒無量、不及乱――酒は量なし、乱に及ばず」とあるが、これを「酒の量は底なしだったが、いくら飲んでもみだれなかった」と訳すのは、誤りである。ましてや「乱に及ばず」を「及ばざれば乱る」と読んで、「酒の量が足りないと乱暴した、あばれ出した」と訳すのは、見当違いである。正しくはどう訳せばよいのか。
 孔子は「文学」というものの人生における効用を、どのように考えていたのか。
 孔子は一種のプラグマティストだったように思えるが、それは『論語』の中でどのように表現されているか。
 為政篇に、「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」という孔子の言葉が見える。孔子は「学」(学問)と「思」(思索)の二つを、対立概念としてとらえていたのか、それとも二つの相互補完性を重視していたのか。
 『論語』のなかでとりわけ重要なキーワードの一つは「仁」で、孔子はこれを多面的に定義しているが、結論的にいえば、人生におけるどのような徳目と考えていたのか。
 設問はほかにもいろいろあるが、本書はそれらの問いに対する答を、『論語』自体の中に探りつつ、話をすすめた。

講義の臨場感
 話はなかなか一直線にはすすまず、たえず脱線しつつ道草を食って、迷路にまぎれこんだこともあった。
 それらの道草もできるだけ捨ててしまわず、編集者の協力を得て、講義の臨場感を活かすべくまとめたのが、本書である。

(いっかい・ともよし/神戸大学名誉教授)