2005年07月01日

『機』2005年7・8月号:石牟礼道子さんへ 大倉正之助

前号   次号


根を下ろした「水俣」
 石牟礼道子さんに初めてお会いしたのは、確か十二年ほど前だったと思う。「満月の夜に狼のように鼓を打っている青年がいるらしい」という噂を聞きつけて、私が出演していた国立能楽堂に足を運んでくださった。
 初対面の石牟礼さんは、今にも消え入りそうな嫋々とした風情のご婦人で、まるで半分冥界に足を踏み入れているかのような印象を受けた。なにやらただならぬ気配を漂わせており、精神だけで生きているかのような趣がある。
 そのとき石牟礼さんから、水俣の話を伺った。それまで私は、水俣で何があったのか、漠然とした知識しかなかったが、その日の出会いを機に、私の意識のなかに「水俣」はしっかりと根を下ろした。
 ぜひ水俣に行って演奏をしたい。その思いが実り、それからほどなく機会が巡ってきた。


大自然そのものへの鎮魂
 演奏することになっていた水俣の資料館で、私は写真や資料を通して、初めて水俣の惨状というものを目の当たりにした。同時に、あの悲劇さえのぞけば、美しい空や海に恵まれた自然豊かで素朴な土地であったことも偲ばれ、その両方の顔があることに、我々が生きている「現代」という時代の姿を見せつけられた気がした。
 しかし何より私の心を揺り動かしたのは、苦境のなかで、人間としての尊厳を持って生きるさまを世に示している、水俣の人々の姿であった。地元の人たちとの出会いを通して、私は実に多くのことを考えさせられた。
 実際にお会いしてみるまでは、水俣の人たちは公害に対する恨みを胸に、生々しく工場との闘争に明け暮れているのではないかというイメージを抱いていた。ところが出会った方々は「本願の会」というものをつくり、人のみならず土地そのものや海の生き物たちなど、生きとし生けるものすべて、つまり大自然そのものに鎮魂の思いを捧げている。自分たちは被害者であるはずなのに、被害者・加害者といった人間界の概念を乗り越え、人間の業といったものを深く見つめ、そこから真の人間として生きるすばらしい世界があるということを示しているのだ。


生命そのものへの賛歌
 かつてはすばらしい海が広がり、先祖代々そこから豊かな恵みを得て暮らしていたのに、海は埋め立てられ、汚染され、人も魚たちも、を奪われていった。私はその埋立地で、鎮魂のために、鼓を打たせていただいた。そこから見えたことは、加害者・被害者という単純な図式ではなく、人類の文明や現代が抱えている問題や功罪に対峙し、未来に対して何を伝えるかこそが大切なのだ、ということだった。
 石牟礼さんは、まさにそのことを、文学という芸術のなかで紡ぎ続けてきた方だ。無念のなかにある生命が抱いている想いや切望の、発露としての文学と言えばいいのだろうか。石牟礼さんの肉体を通し、文学として生まれ出たものは、表現として何ともいとおしく、限りなく美しい。確かに事実は悲惨だし、悲しみも苦しみもあるけれど、それがみごとに昇華され、生命そのものへの賛歌にもなっている。
 初対面のとき、なにやらシャーマンめいた印象を受けたが、それは間違いではなかったと思う。我々の眼には見えない世界と、見える世界を言葉でもって橋渡しするのが文学の力だとすれば、半分冥界に棲み、冥界の魂たちの想いを私たちに伝えてくれる石牟礼さんは、まさにシャーマンだ。これからもどうか、次々と作品を生んでいってほしい。石牟礼さんの言葉に触発され、刺激を受け、我々表現者はまた新たなるものを生み出していくことができるのだから。


(おおくら・しょうのすけ/能楽囃子大倉流大鼓奏者)