2005年07月01日

『機』2005年7・8月号:現代に活かす「曼荼羅の思想」 頼富本宏+鶴見和子

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 南方熊楠の思想を「南方曼荼羅」として読み解いた鶴見和子氏が、密教学の第一人者、頼富本宏氏を迎え、数の論理、力の論理を超えて、異文化の共生をめざす「曼荼羅の思想」の可能性に向けて徹底討論する。(編集部)

曼荼羅のダイナミズム
鶴見 先生のご本を読ませていただきまして、非常に重大なまちがいをしていたことがわかったんです。曼荼羅の特徴を何度も力説していらっしゃる中に、多様性、全体性、調和性、そこまではわかっていたんですが、一番大事なことをわかってなかった。それは、いろんな曼荼羅の本を読むと、こういう配置図や、こういう配置図があるということがひどく強調されていたために、スタティック・モデルだと考えていた。そうしたら、先生のご著書ではダイナミック・モデルだということを強調していらっしゃるんですね。
 先生は、流動性、この世はつねに流れているものである、変化するということが曼荼羅のダイナミズムであると強調しておられます。プロセス・モデルとスタティック・モデルの違いが、その論理の違いになっているのではないか。
 いま、世界を支配しようとしているブッシュ大統領は、キリスト教のプロテスタンティズムの原理主義なんです。その論理学はアリストテレスの形式論理学のみを使っている。それはスタティックなんです。固定された社会を分類するときの分類法なんです。同一律は「AはAでないものとは違う」、いつでもAはAだと。排中律は「AとAでないものの間はない」。それから矛盾律は「AとAでないものは同時に成立することはない」。こういう二元論なんです。その世界観に立てば、この人はAが一番正しいと思っている。そうすると、Aでないものはみんな排除する。排除の論理なんです。曼荼羅はそれとは違う論理に立っている。

「液体曼荼羅」という発想
頼富 キリスト教の中でも保守的原理主義的な人びとの持つ体制維持のエネルギーを利用しているようですね。あれは確かにアメリカ一国主義といえるでしょう。


鶴見 カトリックは違う。法王ヨハネ・パウロ二世はエキュメニカル(他宗教との対話と共存)を説き実践しておられる。


頼富 キリスト教の中でも、主に対話に動いているのはカトリックの方々ですね。だから共通の祈りとか、それからカトリックから主に出てきた霊性ということ。これは、普遍的な聖なるものということで、それぞれの宗教によって立て方が違うんです。立て方が違うんだけれども、お互いに霊性という大きな、これも一種の曼荼羅ですが、大曼荼羅の中にそれぞれの位置を与えられ、全体というべき霊性を生かしていこうじゃないかという運動は起こりつつあります。
 ブッシュというか、ああいう一部の飛び跳ねた、極端な一国主義、そういうものが出てきた場合には、たとえば、その傘下にならざるをえないというようなこと、あるいはある時期において、いっしょにやらないといけない、いっしょにやるというのは一歩前進なのか、価値的には一歩後退なのか見解の分かれる所なんですが、それを説明できるアナロジーとして「液体曼荼羅」というものを考えておりまして……。まず思想のモデルとして考える場合、まず平面の曼荼羅ですね。しかし、二次元だけでは質的な違いが組み込めませんので、私はいま立体の曼荼羅を基本と考えておりますが、液体の概念の導入で新しい見方ができないかと模索しています。「液体曼荼羅」は、図形や立体の曼荼羅とは異なり、もとの形や構造を超越した新しい変化を生み出す。

(よりとみ・もとひろ/密教学者)
(つるみ・かずこ/社会学者)
※全文は『曼荼羅の思想』に収録(構成・編集部)