2005年01月01日

『機』2005年1月号:1990年代のアメリカ経済をどう見るか R.ボワイエ

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レギュラシオンの二つの問題
 『資本主義VS資本主義』における最大のポイントは、1990年代のアメリカ経済の繁栄をどう見るかという問題です。90年代のアメリカの超ロングランの繁栄によって、アメリカはフォーディズムの危機を脱した、十年、二十年に及ぶ長期的な停滞を脱した。それどころかアメリカ経済は、もはや恐慌とか不況を経験しないような、ニューエコノミーという経済をつくり出している、というのがアメリカの繁栄の支持者たちによってまじめに主張された議論です。
 これをどう見るか、というのが現実との接点です。レギュラシオン理論は、フォーディズムの研究でスタートしたわけですが、しかしながら過去についての研究はきわめてやりやすい。問題は、将来展望をどう考えるかです。確かにレギュラシオン研究は、過去についての研究から出発した以上、過去についての歴史的な分析は強くて、実際に研究の蓄積も存在します。けれども、現状分析、さらには将来展望となると、これまで私の著書の中でも正面から大きな比重を占めていたわけではないというのが事実でした。この二つの問題を克服する、解決するというのが本書における試みです。

現状分析
 まず90年代の初めに遡りますと、フォーディズム的なレギュラシオン様式にかわって、新しいレギュラシオン様式が登場しつつあるのではないかというのが一つの見方として考えられました。その背景は何かというと、経済の国際化であって、金融が国際化する、そして技術革新が国際化していくというグローバル化につながる問題が現実にありました。これに対して支配的な経済学の分析は、危機なき資本主義という形でアメリカの繁栄を一方的に賛美する形になっていた。 90年代における私の見方は、資本主義の多様性は、決して不動の状態、固定された状態にあるわけではなくて、きわめてダイナミックな形で変化していくというものです。

将来展望
 将来展望にかかわるレギュラシオン理論ですが、本書の結論部においていくつかの点を出しています。まず、危機を繰り返して資本主義が衰退していくという一方的な論理ではなく、危機ごとに大きな変化を起こして資本主義が変容していくと私は見ています。二番目に、経済のグローバル化は現実ですが、一方では政治の分野は、ナショナルなレベルにとどまっている。そういう意味では、矛盾が存在します。三番目には、金融による経済成長の問題です。金融による経済成長は可能かというと、それは経済が好況と不況を繰り返すような大きな不均衡を引き起こしていくことになる。そして四つ目には、人間の基本的なニーズと現実の資本主義が充足するニーズとの間に矛盾が生じてきている。それは究極的には人間中心的な経済成長の概念の必要性に行きついていきます。
 さらに、逆説的な状況ですが、コンピューターによって知識が波及し、ネットワークでもってすべての人がアクセスしやすくなっていく。つまり透明性が強まっていくと、従来そうした知識が一部の人間にだけ握られていたのが広く広まるようになります。そうした知的な財産が共有されていくことで、かえって社会主義的な側面が強まってくるという矛盾が存在します。最後は、民主主義の問題です。フォーディズム的な経済成長は、一般の賃金生活者が政治的な代表権、投票権を持って政治に参画し、政治的な権利、経済的な権利を獲得していったことによって可能になったわけですが、現在の問題は、代表制民主主義が衰退して弱まっているというのが先進各国の特徴です。政治的なエリートと庶民、人民の間に乖離が起こってしまっています。(井上泰夫訳)

(Robert Boyer/仏国立科学研究所教授)