2003年02月01日

『機』2003年2月号:「日米二国間主義症候群」の克服 姜尚中

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「日米関係」に依存してきたわれわれは何を失ってきたか!

「二国間主義症候群」
 本書は、日米という、超大国と経済大国との同盟関係を、東北アジアさらにはグローバルな世界的コンテクストのなかで見直し、新しい世紀の地域的な「共通基盤」を模索しようとする座談の集成である。
 ゲストにキャロル・グラック氏と和田春樹氏という、日米を代表する歴史家を迎え、わたしがナビゲーターも兼ねた問答形式の座談は、あの二〇〇一年九月一一日の同時多発テロの衝撃とともにはじまり、そしてイラクと北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)をめぐる危機的な情況を目前にして終わっている。このほぼ一年余りにおよぶ戦争と平和をめぐるシリアスな世界的危機のなかで常に舞台の中心に巨大なシルエットを投じてきたのは、いうまでもなくアメリカである。その超大国アメリカによって宣布された対テロ戦争は、世界を震撼させるとともに、帝国的な世界権力と非正規的なテロリズムとの対決という構図を浮かび上がらせることになった。
 座談のなかでわれわれは、ただ平和憲法を「護符」にして非戦の立場から批判するのではなく、むしろ日米同盟の「慣性の法則」を、日本を含む東北アジアの広域的な歴史のなかに位置づけ、その現代的な意味を掘り下げようと試みた。
 グラック氏の言葉をかりれば、「日米二国間主義症候群」と言えるような同盟関係の「慣性の法則」は、どんな歴史的な力学のなかから生まれたのか。それによって日本と近隣アジア諸国の関係はどのように歪められ、それぞれの諸国民のナショナル・アイデンティティや歴史にどのような刻印を残すことになったのか。また戦後の日本は、そのような「慣性の法則」に従うことでどのような歴史的な過去を忘却し、何を犠牲にしてきたのか。さらにアメリカは、日本をはじめ東北アジアの地域にどのような巨大な影を投じてきたのか。こういった、日米関係を東北アジアの重層的な諸関係のなかで歴史的に問い直す知的な共同作業のなかから明らかになったのは、アメリカの「覇権の習慣」とそれに「寄生」する日本の姿であった。

東北アジアと「日米関係」
 和田氏とわたしは、グラック氏よりもどちらかと言えば、東北アジアの地域的な結びつきの可能性によりウェートを置いて、「日米二国間主義症候群」から脱却する秩序構想を提唱している。それは、東北アジアという、国家を超えた広域的な多国間秩序のなかに日米関係をも埋め込み、アメリカの「覇権の習慣」を相対化させてゆくオルタナティブである。その試金石となるのが、歴史的な日朝首脳会談であり、「日朝平壌宣言」に他ならない。
 「日米二国間主義症候群」とは、実際には(東北)アジアへの無関心あるいは偏見による「アジア不在」の戦後外交と国民意識の別名に他ならないとすれば、「日朝平壌宣言」の第四項は、そうした戦後の「アジア不在」の歴史を清算し、日本が太平洋を隔てた超大国との紐帯を維持しつつ、東北アジアのなかに新たなアイデンティティを見いだしていく道筋を示しているのである。もちろん、そうした「東北アジア共同の家」が実現されるまでには荊棘に満ちた道程が予想される。しかしそれを踏破したとき、少なくともこの地域においてアメリカは「覇権の習慣」を捨て去り、地域的な秩序の「同輩中の第一者」としてふるまうことになるであろう。そして日本もまた、開国以来果たせなかった近隣アジア諸国との和解と協力を達成できるようになるはずである。そしてこの地域での新しい秩序形成の「実験」は、アメリカに単独主義的な「帝国」的権力への内省を促し、アメリカの真の強さである「健全な」世論の復元に裨益するに違いない。その意味でこの地域の未来にアメリカの「覇権の習慣」を軌道修正するカギがあると言っても大袈裟ではないのだ。それが実現されたとき、日本は、日米関係の「慣性の法則」から脱してより広域かつグローバルな世界へと開かれていくに違いない。

(カン・サンジュン/東京大学教授)