2020年05月21日

5/19中国新聞で『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』に記された軍艦「矢矧」における感染事例が紹介されました

5月19日、『中国新聞』で『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』で『「矢矧」事件』として取り上げられている感染事例が「【こちら編集局です】密な艦内「至ル所患者」 呉に旧海軍の「スペイン風邪」殉職碑」という記事で紹介されました。

日本海軍史上、「矢矧」の艦名がつけられた軍艦は二隻存在しますが、ここで触れられているのは、筑摩型防護巡洋艦(二等巡洋艦)の二番艦とも三番艦ともいわれている船で、1912年に竣工し、1940年まで活動した最初の「矢矧」(常備排水量5,000t、全長144.8m、最大幅14.2m)です。

 

最初の「矢矧」(左)と二艦目の「矢矧」(右)

二番目の阿賀野型軽巡洋艦「矢矧」(満載排水量8,338.4t、全長174.50m、最大幅15.20m)は、記事中でも触れられているように、戦艦「大和」の随伴艦として沖縄特攻に出撃し、「大和」とともに沈んでいますが、実はこの時最初の「矢矧」は海軍の軍艦としては除籍されていますが、まだ現存していたようです(1947年解体)。

この「大和」の沖縄特攻については、その一部始終を目撃した少年兵の記録、西崎信夫[著](元海軍特別年少兵)、小川万海子[編]の『「雪風」に乗った少年 十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』をご参照ください。