2011年11月01日

『機』2011年11月号:辛亥革命と日本 王柯

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辛亥革命の歴史的意味
 辛亥革命は、狭義では一九一一年十月十日の夜に武昌(長江によって三分された武漢市街地のひとつ)で一部の「新軍」が清朝に反旗を翻した蜂起から、一九一二年二月十二日の清朝皇帝(宣統帝溥儀)が退位詔書を出した日までの期間に、中国全国各地で起こった清朝支配を崩壊させた武装闘争を指す。
 広義では、清朝末期からの一連の革命運動から、武昌蜂起を経て中国における共和制の確立までの期間を指す。革命は一夜にしてならず。本書(『辛亥革命と日本』)は武昌蜂起自体に限定して研究するものではないため、後者の立場をとって、様々な側面から比較的長期間にわたる政治的思想的そして社会的な動きを見渡し、日本と辛亥革命との関係について検証するものである。
 一見すると、辛亥革命は中国の一事件に過ぎないが、しかし辛亥革命は古代より続いて来た君主政治を終わらせ、中華民国というアジアにおける最初の共和国を樹立し、東アジアないし世界歴史の流れを変え、「アジアの近代」を始めたのである。辛亥革命の理念と成果は、それ以後の中国に大きな影響と発展の契機をもたらし、結局のところ、二十一世紀初頭からの中国およびアジアの爆発的発展にもつながるものとなった。
 まさにそのためでもあるが、これまでの辛亥革命に関する研究は、「革命」の評価、とくに革命の中国またはアジア社会における意義にこだわる傾向にあった。それによって、辛亥革命の必要性と必然性、そしてそのアジア史、世界史に持つ意味はある程度明らかにされたとはいえ、多くの歴史の真実がなお明らかにされないままであり、研究の限界も感じられた。
 辛亥革命までのアジア近代思想の流れの中、日本は重要な位置を占めており、また周知のように、多くの辛亥革命の主役は日本と何らかの関係をもち、また多くの日本人は様々な形で辛亥革命、ひいては中国の近代化の道程に加担していた。疑いなく、「日本」という要素がなければ、「革命」も異なる様相で展開されることになっただろう。
 しかし残念ながら、日本と辛亥革命との関係についても、多くの真実が謎のベールに隠されたままであり、多くの研究は研究対象である辛亥革命と関係する日本側の主役の本当の狙いについて明言を避けながら進められた。「辛亥革命」にまつわる歴史学は、中国においても日本においても神聖かつ神秘的な雰囲気に包まれてきたようにさえ感じられる。


日本と辛亥革命とのかかわり
 「日本」という視点から「辛亥革命」の歴史を考える際、二つのカテゴリーでさらに掘り下げる必要があると思う。
 一つは、「革命」自体と日本との立体的政治関係である。具体的に言えば、辛亥革命およびその前後の中国の政治的動きに対して、日本の政府、軍部、政治家、そしてさまざまな日本の人々は、いかなる目的と動機でどのような役割を果たしたのかということである。とくにその目的と動機については、その役割を評価する上で、ひいては辛亥革命によってアジアことに中国を巡る国際政治の地図がいかに変化したかを理解する上で非常に重要であるため、避けてはならないことである。
 もう一つのカテゴリーは、長いスパンで見た日本と辛亥革命との思想的連関である。これは辛亥革命自体に対する評価にもつながる問題であるが、具体的にいえば、辛亥革命の社会的基盤がどのように形成され、辛亥革命によって中国社会にいかなる変容が起こり、辛亥革命によって中国の「近代」がどのような道を歩むことになったのか、などにおいて日本は思想面でどのような手本を示したのか、ということである。むろん、これは辛亥革命によって切り開かれた中国の「近代」、そして十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのアジアにおける「近代」思想の形成に対する近代日本の意義を明らかにする上でも非常に重要である。
 本書は、まさにこのような考え方に基づいて企画されており、この作業の目的は、日中両国の関係の重要性を再確認するとともに、東アジア地域における「歴史」が様々な側面を同時にそして重層的に持つことを明らかにし、真の「歴史」の意義をより深く理解してもらうことにある。

各章の内容
 第一章の「辛亥革命と日本政府の反応」は、日本政府と民間、西園寺内閣と桂内閣、軍部と外務省、陸軍と海軍、陸軍参謀本部第一部と第二部との辛亥革命に対する反応と対応すら異なっていたことを明らかにし、辛亥革命は、中国に対する列強外交の共同性を確認する場であり、列強間の国際協調体制を維持すべきか自主外交を推進すべきかという対立が日本政治の焦点となり、日本の対中国政策混迷の出発点でもあったと分析する。
 第二章「辛亥革命をめぐる日本民間の動き――青柳勝敏をはじめとする軍人グループの活動を中心として」は、日本の予備役・退役軍人たちは「民間人」の身分で中国革命運動に関わり、政府の役人や正規軍の軍人たち、そして大陸浪人たちが腕を振るえない舞台に近代日本国家の国益のために暗躍していた事実を明らかにする。
 第三章「民権・政権・国権――中国革命と黒龍会」は、内田良平の「対支私案」などの歴史資料を通じて、特に「満蒙独立運動」との関連性に注目し、辛亥革命時期の黒龍会の活動に対する孫文を始めとする中国の革命家たちの受け止め方を検証する。
 第四章「大陸浪人と辛亥革命――連帯の接点と性質を考える」は、辛亥革命期の「大陸浪人」に焦点を絞り、アジア主義的連帯の思想原点と帰結点、大陸浪人と中国革命家を結びつけた基本接点になったのがナショナリズムに基づく近代国家建設であったので、連帯は成立した時からいつか終結・破綻を迎える必然的な要素を内包していたと指摘する。
 第五章「辛亥革命と日本華僑・留学生」は、日本の華僑社会による革命支持に神戸華僑が顕著な役割を果たした原因を検証し、留学生は来日前にも革命と改良思想の影響を受け、来日後も同盟会などが発行する雑誌を通じて革命思想を受容し、彼らの革命思想が日本の大学教育の結果とは言えないと冷静に分析する。
 第六章「『国民教育』を目指して――清朝末期における視学制度の導入に見る日本の影響」は、清朝政府が明治日本の「視学」制度を参考に「国家の教育に対する監督権の組織化」として成立させた近代視学制度、日本留学経験者の活躍を検証し、清朝の「国民皆学」の理念が中国社会の発展に貢献し、新式学堂建設はむしろ辛亥革命の土壌作りに貢献したと分析する。
 第七章「新名詞と辛亥革命期の中国――日本の影響を中心に」は、日清戦争以後、日本語からの新名詞の受け入れと新知識の受容との関係などの視点から、日本は掛け替えのない近代知の提供者と指摘し、清朝の『国民必読課本』が「憲法、自治、国民、民主」等を中国社会に定着させたプロセスを検証する。
 第八章「二十世紀初頭浙江省における社会再編――辛亥革命時期の官僚、士紳と日本留学」は、「日本留学」という新たな社会階層の出現、浙江の地方自治運動が中国の憲政運動に与えた影響、「日本士官生」のグループが辛亥革命に果たした役割を通じて、中国地域社会の変容には日本からの影響もあったと分析する。
 第九章「孫中山と『徹底した民族主義』――近代的統一という幻想」は、革命派も立憲派も新中国国家においては日本をモデルとする国民統合と富国強兵を達成すべく、新たに近代的態度をもつ中国人意識を全国民に植える使命感に燃え、孫文や黄興の思想と行動も日本の北海道開拓の影響を受けたことなど、新たな視点を提供する。
 第一〇章「地域と知域の重層――二十世紀知識人孫文にみる知域像」は、著者の長年の問題関心と思考を凝集し「知域」という意味深いキーワードを取り上げ、辛亥革命期のアジアと世界、歴史周年記念にみる「記憶」の現在性、孫文の「知域」、孫文と南方熊楠との交流などに見る「知域」の交錯、などの角度から、時代思想と歴史との関係を、因果関係としてではなく両者の緊張として捉えようとした。知識と歴史とのフィードバック関係に関する著者の思考は、歴史学の神髄に迫る。
 本書の最大の特徴は、いままでの先行研究の結果を吸収しながらもその結論に安易に付随せず、大量の第一次資料に基づいて様々な側面から詳細かつ綿密に検証し、独自の論点を出していることである。「辛亥革命と日本」という側面から、できるだけ多くの歴史の真実を読者と共有し、近代における日中両国の関係及びその意義について更に認識を深める一助となれば幸いである。

(おう・か/中国近現代史)