2011年09月01日

『機』2011年9月号:本書誕生の経緯 ――『アラブ革命はなぜ起きたか』―― ダニエル・シュネデルマン

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アラブ革命に対する仏メディアの反応
 本書(『アラブ革命はなぜ起きたか デモグラフィーとデモクラシー』)は、アレシュリマージュ(ネット放送局)のチームによるエマニュエル・トッドのインタビューにして彼の告白という、あまり例を見ない本であるが、実はこの本自体が、『文明の接近』(二〇〇七年、邦訳は二〇〇八年小社刊)と、ウェブ・テレビジョンの番組との混交から生まれた、ハイブリッドな産物なのである。
 トッドはそこで、時流に逆らって、ある診断を下していた。すなわち、政治的・メディア的通念は十年一日のように、アラブ諸国の住民は結局は原理主義と独裁に行き着く運命にあるのだと、繰り返し述べていたが、とんでもない、アラブ諸国の住民は、そのままずかずかと近代性の中に足を踏み入れて、いつの間にか、近代性の中にいるいわゆる「西洋」の住民に追いついた、というのだ。
 私は「時流に逆らって」と言ったが、それだけでは言い足りない。もう何年も前から、フランスのメディアの中で今日主流をなしているいくつかのものは、コーランは近代性と相容れるかという、益体もない疑問に己を見失っている。コーランは、ということは、広義では世界のすべてのイスラーム教徒は、その本性からして宿命的に、反啓蒙的で反動的で、女性蔑視で同性愛恐怖症なのではなかろうか、というわけだ。
 このような知的景観の中で、チュニジア革命と直ちにそれに続いたエジプト革命が起こったものだから、フランス政府とメディアのイスラーム恐怖症患者のお歴々はまさに硬直痙攣を起こしたのである。当初は無関心だった(チュニジア社会の底辺で革命が起こりつつあることにフランスのテレビが気付くのに、三週間かかった)が、その局面が終わると、一連の派手な失言・失策が湧き出して来た。で、ジャーナリストたちはどうだったのか。異口同音にこう宣う始末だった。思い出すだけで良いのだ。イスラーム、ブルカ、ハラール(主にイスラム法で摂取を許された食品)、世俗性等々について、われわれは皆さんの耳にタコができるほど叩き込んだではないか、と。
 各国の独裁がぐらつき出したときの、彼ら特派員たちの顔と言ったらなかった。これらの思いも掛けぬ若い革命が、われらが年老いた諸国民の年老いたメディアにどんな恐怖心を抱かせたか、どんな注釈よりもそれらのルポルタージュの方が雄弁に物語っていた。

今回の事態を半ば予言
 トッドの本を発見したとき、私がどれほど安堵を覚え、歓喜にむせんだか、ご想像戴きたい。この本を私は熱に浮かされたように貪り読んだ。トッドは、支配的なプロパガンダに冒されていないように見えたのである。
 彼はもちろん明示的な逆手を狙って、コーランの満ち足りた讃美に挺身してなどいなかった。彼は全然別の場所に足場を築き、横から攻めていたのだが、その射角はまことに有効で、しかも投入される弾薬は、フランスから見た論争の塹壕戦では初めて登場する新型砲弾、すなわち人口統計学のデータであった。
 この本を一読するや、私はたちまち、著者を招き、今やまことに予言的であることが明らかとなった彼の分析を解明したくてたまらなくなったのである。アラブの革命は、人口統計学のデータに不可避的に書き込まれていたというのか? だとすると、かくも明々白々な事実が誰の目にも止まらなかったのは、一体どうしてなのだろうか?
 それが、皆さんがいま手にしておられる小冊子の母体となったのである。
 トッドは、いかなる慎重な言葉遣いにも、いかなる礼節にも、いかなる順応主義にも、いかなるポリティカル・コレクトネスにも惑わされることがないがゆえに、われわれの世界の見方を一変させてしまう、そういう稀な思想家の一人である。
 そうなのだ。彼はただ一人掩護もなく、踏みならされた道を遠く離れて、前人未到の地を果敢に探検した。そして時々、私たちの方を振り返って、私たちが彼の姿を見失っていないかどうか確認するのだ。


(構成・編集部)
*全文は『アラブ革命はなぜ起きたか』に収録
(Daniel Schneidermann /ジャーナリスト)