2010年12月01日

『機』2010年12月号:自由貿易は、民主主義を滅ぼす E・トッド

前号   次号


われわれはいかなる時代に生きているのか
 私は、自由貿易はいかなる場合にも絶対にいけない、と言っているわけではありません。その時の状況や文脈によっては、自由貿易の方がよい場合もあることを認めています。経済のパイを拡大したり、それぞれの国が得意な分野に特化する場合には、自由貿易はよいシステムだと思います。実際、歴史的に見て、自由貿易がうまく機能した時代もありました。とくに第二次世界大戦後の時代がそうでした。
 では、現在、われわれはいかなる時代を生きているのか。それを理解するためには、まず戦後の経済を振り返ってみる必要があります。
 まず一九七〇年代まで続く経済繁栄の時代がありましたが、当時は、経済がまだナショナル・レベルで発展していました。そこでは、財界の指導者、そして組合も、戦争の歴史から得た教訓を活かしていた。経済は、生産と消費の関係に基づいて運営され、とくに当時の経営者たちは、自分たちの労働者の給料、賃金を上げれば、同時に需要も上がることを理解していた。ですから技術革新によって、生産性を上げ、賃金を上げることによって、需要をさらに刺激することができた。フランスでは「栄光の三〇年」と称された時代です。

自由貿易とは何か
 その後、そのように国内だけで完結していた経済が、次第に自由貿易に移行していきます。もちろん当時は、自由貿易による恩恵がありました。それだけ市場のパイが拡大したということです。
 けれども、そのように自由貿易に移行する中で、少しずつそれまでの慣行やメンタリティが変わっていきました。とくに企業は、国内市場ではなく、国外市場に向けて生産するようになる。そうなると、「企業が支払う賃金は、国内需要を生み出すものだ」という意識が希薄になっていきます。むしろ賃金は、ただ単にカットしなくてはならないコストとしてみなされるようになる。そしてさらには、すべての国、すべての企業が賃金を単なるコストとみなすようになる。こうして世界全体の需要が縮小していきました。
 自由貿易は、元々十九世紀に始まった資本主義の古い考えに基づいて始まったわけです。自由貿易によって経済活動をし、発展すれば、賃金も上がり、需要もつくられる、と。これは、賃金の低い新興諸国がない世界では、実現可能なモデルですが、現在は中国のような新興国に、非常に低い賃金で働く労働者が膨大にいる。そうなると、このモデルは壊れてしまう。実際、国際規模での給与水準は下がる一方です。その結果として、世界規模で需要不足が生じている。
 同様のことが、この数年間に起こった金融市場での異常な投機にも言えます。自由貿易の結果、すべての国において不平等が拡大しました。経済格差が世界的な規模で広がっている。各国の最上層部、超富裕層がこれ以上は不要だというような富をさらにいっそう集めている、そこだけに富が集まっているという状態が、各国で起きている。富の資源となるものが、すべて超富裕層に集まってしまっているわけです。しかし、そうしたお金の流れも、最後にはアメリカの金融市場に流れて、今回の金融危機のように、結局はすべて蒸気となって消えてしまいます。

経済危機は何故起きるのか
 そもそも経済危機はなぜ起きたのか。まず世界的な需要不足が生じていました。そこで、米国は非常に変わった役割を演じ続けました。世界の最後の消費者としての役割です。その結果、アメリカの貿易赤字は、世界全体の赤字のような形でどんどん拡大した。アメリカの貿易赤字が、世界規模でのケインズ的な赤字であるかのようにです。サブプライムローンをきっかけとした今回の金融危機というのは、莫大な貿易赤字まで出して、さらにはサブプライムローンという複雑な仕組みまで用いて、ウソの需要をつくり出していた、そのメカニズムが崩壊した、ということです。
 このメカニズムは、いたってシンプルなものです。しかし私が見ていて驚くのは、G8やG 20という形で集まった各国の指導者たちが、危機がなぜ起きたのか、その基本的なメカニズムをきちんと分析していないことです。そこで確認されたのは、単に世界的に需要が不足している、ということだけです。その不足状態にある需要をどのように刺激すればよいか、結局、またそこに公的な資金を投入して需要を無理につくり出すといった解決策を採ろうとしています。要するに、「自由貿易こそ金融危機の原因である」という根本原因を誰も認めようとしない。それどころか、むしろそれを拒否して、「保護主義に走ることこそ脅威である」「保護主義だけは避けなければならない」と各国の指導者は異口同音に唱えています。

自由貿易を再生させるには?
 自由貿易のメカニズムの再生には、よく動く機械をきちんと市場に乗せることによって初めて可能になるので、再生プランを講じようとするのは、もっともなことです。しかし、そうした再生プランを講じても、先進国は、結局はまた同じ問題に直面することになる。つまり、中国やその他の新興国とコスト競争をしなければならない。その結果、また賃金が圧縮され、企業移転がどんどん進む。結局、同じことが起こってしまう。とくに日本やドイツといった比較的均衡のとれた強い経済大国は、そうした再生プランを講じても、企業の海外移転を止めることはできず、賃金も下がる一方でしょう。
 今回の危機で興味深いのは、経済的に非常に豊かでダイナミックな国ほど、大きな影響を受けている、という点です。一九二九年の世界大恐慌でも、最も影響を受けたのは、当時、最も経済的に強かったアメリカとドイツです。今朝の新聞(二〇〇九年一〇月一四日付)で、二〇〇八年から二〇〇九年の上半期までで各国の輸出がどのぐらい落ちたかという数値を見つけました。ドイツの輸出は、三四%のマイナスです。日本のそれは三七%でした。産業が衰えつつあるアメリカは、二四%しか落ちていない。新興市場として最も注目されている中国も、二二%しか落ちていない。この数年間の間に講じられた再生策も、先進国のためよりは、むしろ中国のような新興諸国に恩恵を与えていることが、ここからおわかりいただけると思います。

自由貿易と排外主義
 解決策として保護主義を提案する前に、「排外主義だ」という保護主義に対してしばしばなされる批判について言及しておきます。しかし、この批判は、むしろ自由貿易に対してなされるべきである、というように私は話を変えたいと思います。
 「自由貿易」という言葉は、一見、美しく、「自由」にはよい響きがある。しかし、自由貿易の現実というのは、そうではありません。万人が万人に対して経済戦争を仕掛けている。自由貿易の現実とは、そのようなものです。
 ですから、あちらこちらで経済対立が起こり、万人の賃金に圧縮がかかる。そして、あらゆる先進国において、格差拡大と生活水準の低下が起こる。
 ここ最近、アメリカで唱えられてきた自由貿易とはいかなるものであったか。まずサミュエル・ハンティントンの『文明の衝突』という有名な本があります。またジョージ・ブッシュは非常に好戦的な人物で、とくにイスラーム世界に対し、どんどん戦争を仕掛けていきました。つまり、自由貿易を行なう国が、必ずしも平和な国であるわけではありません。むしろ自由貿易の伸張と共に、排外主義が台頭してくる。自由貿易で敵が必要となれば、経済的にあまり強くない国、つまりイスラーム諸国をターゲットにする。
 現在のような形で自由貿易が進めば、イスラーム嫌いだけではなく、中国嫌いということも、世界中で起こってくるはずです。保護主義の話をする前に、どうしても、自由貿易と排外主義との関係についてお話をしておきたいと思いました。

(二〇〇九年一〇月一四日)
(Emmanuel Todd /人類学)
(井村由紀・訳)