●著者来日! 世界的大詩人の半世紀にわたる“詩歴”のすべて
いつだったか、スペインで話したことがある。「ある王の宣布によれば、スペイン語は神との対話に使われる言葉だということでした。ならば、韓国語は魂との対話に使われる言葉でありましょう」と。
あの世の魂をこの世に呼び出す時、この世の執着から抜け出せない魂をなだめて送り出す時、韓国語はその鎮魂の叙述を通してより一層切なるものとなる。
私の詩もまた何か鎮魂の言語であることを願っている。だから、韓国語の宿命の中で生まれた私の詩が一つの魂として彷徨うことを夢見ぬわけにはいかない。
韓国語の海の向こうに日本語があること、中国語があること、そしてベトナム語がある幸福と、それらの言語の境界を越える幸福で私は独りではない。
こういう私の言語が日本語の友情によって新しく生まれたことは詩の行路をあらためて悟らせる。なぜなら、詩はあるところから他のところへ行くことを詩自身の生としているからだ。そうだ。詩がある国の響きなら、その響きはやがて他国の旅人になるのだ。今なおあのシュメール時代の詩が今日の旅人として生きている事実と違わないように。
ここで二人の顔が思い浮かぶ。
昨年他界した鶴見和子女史に生前会えなかったことが非常に悔やまれる。その方の訃報に接し、遠方より深い哀悼の意を表します。
ところで、私は今まるでその方と一緒に座っているかのように、部屋の中に何か紅潮のような精気を感じている。その方は生きている!
もうお一人は何年か前に他界したピエール・ブルデューだ。彼の乾いた笑いとその表情の寂しさが、私の目の前にいるようだ。
私は彼が韓国に来た時に一緒にいた。その時、彼は詩が私へ来るのに気づいた。次の詩が、その時のことを描いている。
「君に詩が来たか」(抜粋・編集部)という詩だ。
いまからアメリカ帝国主義と闘うために
一緒に組もうと
ブルデューが私に言った
彼は私より三歳上
フランスの過去と
韓国の現在が一塊りとなって
今日の顔を作りだす
おお 偶然の絶対
その時
ガラス窓の外に
一羽の四十雀が飛んでいった
ブルデューが尋ねた
いま 君に詩が来たのか
と
(鳥が飛んでいったから間違いなく君に詩が来たはずだ)
そうだ 詩が来た
と
二つは一つになってわっはっはと笑った
泣くと
一つは顔と首の皺がひどく多かったし
一つはてんで目がなかった
ブルデューはその足で日本に渡り
藤原書店主催の記念講演をしてパリに帰っていった
しばらくしてこの世を去った
私は藤原書店のブルデュー・ライブラリー14巻をあれこれ見た
その後 デリダとサイードの弔辞を読んだ
静かに また詩が来た
(Ko Un/詩人)