2007年01月01日

『機』2007年1月号:二つの遺言 鶴見和子

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●「内発的発展」という独自の社会のあり方を提唱した社会学者、鶴見和子の遺言。


 私はもういつ消えてもおかしくない。そうすると、我が去りし後の世に遺すことば、今日はこういうたくさんの方々のお集まりでお話をする、おそらく最後の講演になると、今日ここへまかりいでました。ですから最後にこの世に遺すことばを、二つだけ申し上げたい。
 一つはいまの九条です。九条を守ってください。私がいなくなった時に、九条をみんなで守って下さい。それが一つです。


   日本列島戦略基地に組み込まれ
   修羅を招くや我が去りし後に


 いま、米軍再編成、つまり大国が世界戦略を考えて、そのために日本をどこへ配置するかということで、日本列島が前線基地に組み込まれようとしています。そのためにまた、戦争に私たちが巻き込まれるかもしれない。だけど私はその時はもうこの世にいない。ああ、それならば、死んだ後は野となれ山となれ……、これは無責任でしょう。だからどうしようかということなんです。


   九条はありても堰となさざるを
   なくては奈落へれゆくらん


 九条というのは何かっていいますと、いま「憲法改正」ということが言われてるでしょう、とくに九条。憲法九条はアメリカの押しつけだ、日本は戦争しないというようなことをいっているのは、アメリカの押しつけだから、これは変えなきゃいけないという議論がさかんですね。


 これはアメリカの押しつけだろうか、ともう一度考えてみます。九条の祖型は何かというと、第一次世界大戦後の1928年に、アメリカの当時の国務長官ケロッグと、フランスの当時の外務大臣ブリヤンとが、パリで約束しました。第一次世界大戦を反省して、戦争はしない方がいい、人を殺し、自然を破壊するから、これをやめようじゃないか、戦争放棄の約束をしたんです。そのために「パリ不戦条約」とも呼ばれていますし、アメリカでは「ケロッグ・ブリヤン条約」、フランスでは「ブリヤン・ケロッグ条約」と呼ばれております。
 アメリカだけの思想じゃないんです。人類の理想なんです。それを、日本は第二次世界大戦で、とくに中国、アジアに攻めていって、ひどいことをした。その反省にもとづいて、これを受け入れたのです。だから押しつけじゃないのです。しかもこれはアメリカの思想というよりは人類の理想です。それを、いまは九条があるのに海外派兵をするということを決めたでしょう。だからあっても歯止めにはならないけれども、もしなければ、どんどんどんどん外国から請われるままに、どこへでも日本から軍隊を出兵して戦争に参加する。そういうことになれば、日本はまた修羅場になっちゃいますね。戦争に巻き込まれてしまう。


 最近、種智院大学――これは宇治にある真言宗の大学です――の学長の頼富本宏先生、この方は曼荼羅の専門家で、たくさん本を書いておられます。この先生のご本を読みました。『密教とマンダラ』(NHK出版)という本です。曼荼羅の思想というのは古代思想です。古代インドに発祥した。わたしはインドに行って驚いたんです。オーランガバッドという所に洞窟がいっぱいあるんです。そのオーランガバッドの洞窟というのは、これは仏教の人が修行した洞窟、これはバラモン教の人が修行した洞窟、これは拝火教(ゾロアスター教)の人が修行した洞窟というふうに、いろんな宗教の修行者が、軒を並べてというとおかしいけれど、洞窟には軒がないけれど、穴を並べていっしょに修行してた。こんなめずらしい所はインド以外にはないでしょう。つまり、諸宗教の共生ということを昔から実践していたのがインドなんです。曼荼羅思想というのは、古代インドに生まれて、そして密教とともに日本に伝来したんです。最初にこれを日本に伝えた方は、弘法大師(空海)です。それからその後が伝教大師(最澄)です。そういうお坊さんたちが日本に持ってきて、日本に広く根づいている思想です。


 ところが曼荼羅というと、ハハハッて笑う人が多いんです。そんなのは昔の話で、迷信だとか、いろんなことをいう。ところが、わたし、ほんとに驚いたのは、頼富先生のご本を読むと、クストーが国連大学で1995年に言ったこととまったく同じことを言っていらっしゃるんです。曼荼羅というものは、ひとつの空間に複数のものが存在する、そのことを曼荼羅という。もしもひとつの空間に単一のものしか存在していなかったら、それは曼荼羅ではない。同じでしょう。生物の種類が多いほど地球は安泰である。文明は安泰であるということと、複数の思想、価値観、考え方、生き方、なんでもいいんです。私の言葉でいうと、異なるものが異なるままに共に生きる道を探究する、それが曼荼羅の思想だと思うんです。


 エコロジーというのは、近代科学の中でも先端科学です。非常に新しい科学です。それが到達した仮説と古代思想とがまったく一致するということに驚いたんです。だから私たちは、日本のなかの思想にこういう普遍的な考え方があって、古代に芽生えたけれども、近代の科学によって証明されている、それらの思想が一致するということに、もっと自信をもちたいと思います。曼荼羅の思想は、相手が気に入らないから殺しちゃう、排除しちゃうというんじゃないんです。いくら相手が気に入らない、私と違う意見をもっている、違う思想をもっている、それでも話しあい、つきあうことによって補いあうことができる、助けあうことができる、そういうゆったりした思想なんです。ところがいま、世界中を支配しているのは、自分がもっている文明がもっともいいのだ。これと違うものは排除する、殺しちゃう、破壊しちゃうという思想です。そうすればその文明自身も弱くなる。そういう教訓なんです。
 私は、わが去りしのちの世に残す言葉として、九条を守ってください、曼荼羅のもっている知恵をよく考えてください。この二つのことを申し上げて、終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

(2004年10月11日/於・けいはんなプラザメインホール)