2006年05月01日

『機』2006年5月号:いまだ「近代」すら超克できぬ日本の経済政策 安達誠司

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経済における「近代の超克」とは
 1942年『文学界』誌上に掲載されたシンポジウム「近代の超克」は、日本という国家が、福澤諭吉をして「商売と戦争の世の中」といわしめた西欧中心の資本主義=「近代」をどのように超越すべきか、という問題を、人文科学の観点から議論したものであった。
 このシンポジウムでは、経済問題が議題に上がることはなかったが、「近代の超克」が、経済にとっても重要な課題であったことは想像に難くない。経済における「近代の超克」とは、日本が「(西洋的)資本主義国の頂点に登りつめる」のか、「アジアの盟主として東洋の勃興を指導していく」のか、という国際経済社会の中での自らの最適な位置づけを模索する過程に他ならなかった。そして、明治維新期以降、日本の政策指導者の経済政策についての構想は、この二つの基本的な国家観を巡り絶えず大きく揺れ動いた。
 結局は、近代日本の経済政策も「アジア主義」的な考え方を基礎とした構想が次第に勢力を拡大していった。そしてこれは、最終的には「大東亜共栄圏」構想として結実し、その後、日本は戦時経済体制へと突き進んでいくことになった。

戦争に導いた「通貨システム」選択の失敗
 戦前の日本経済がこのような「破滅への道」を突き進むことを余儀なくされたのは、明治維新期以降の西欧資本主義的な経済政策の多くが失敗し、日本経済が全く行き詰まったためだというのが定説になっている感がある。しかし、これは、決して日本の経済政策運営に西欧資本主義的な政策思想がマッチしなかったためではなく、政策担当者が西欧資本主義的な政策を実現するための適切な政策運営の枠組みをうまく選択できなかったことにその理由が見出せるのではないか。
 では、その「枠組み」とは何か。それは、「通貨システム」である。幕末以降、日本経済がグローバル経済に取り込まれていく過程の中で、日本の経済政策担当者はあまりにも通貨システムの選択に無頓着ではなかったか。通貨システム選択の失敗が、日本経済に幾度となく深刻なデフレーションをもたらし、結局は、日本を戦争という破滅に導いたのではなかったのだろうか。
 しかも、これは、単なる歴史上の出来事ではない。現在の日本経済の置かれた状況を考えると、当時と同じく、経済政策における通貨システムの役割が余りにも過小評価され、無批判に円高を許容してきたことが、この現代型のデフレーションをもたらしたのではないか。

日本の教訓を生かした米国
 現在、経済学の飛躍的な発展によって、デフレーションのメカニズムやその回避、及び治癒の方法などが次第に明らかになりつつあるが、諸外国の政策当局者の中には、そのような最先端の経済学的手法を駆使すると共に過去の歴史をつぶさに分析し、これを歴史の教訓として生かそうという動きもみられる。米国の中央銀行であるFRB(連邦準備理事会)は、2002年に先行研究を踏まえつつ、「日本の経験からの教訓」と題して、最新のマクロ経済学の観点から、日本経済が経験した「失われた十年」を分析し、デフレーションを回避するための金融政策のあり方という教訓を見事に引き出した。そして、これは、01年から03 年にかけて、米国がデフレスパイラルの危機に瀕した際の迅速かつ大胆な金融緩和、減税等の財政政策、及びドル安誘導政策の実現として、実際の経済政策の現場に生かされたのであった。
 しかし、教訓を提供した日本側の状況をみると、政策当局者は、自国を襲ったデフレーションに対して有効な政策を実行することはできず、無益な政策論争を繰り返すばかりであった。
 日本の経済政策は、いまだに「近代」すら超克していないのである。


(あだち・せいじ/エコノミスト)
※全文は『脱デフレの歴史分析』に収録(構成・編集部)