2006年02月01日

『機』2006年2月号:住宅市場に見る「経済」と「社会」 山田鋭夫

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 「耐震強度偽装」問題で建設業界が揺れている。いや、業界だけでなく、政治が揺れ、社会が揺れ、そして日本人の安全と安心と夢が揺れている。それなのに、関係する会社や個人は「偽装」の責任を他になすりつけあうばかりで、被害者や国民に対して、責任ある態度の表明とその実行がなされない。建設業界に限らないけれども、「企業倫理」ということが改めて真剣に問われなければならない。

住宅市場の行為者たち
 が、いまここで注目したいのは、それにしても一つの建物が消費者の手に渡るまでには、政府や地方自治体の関係部課はもちろん、民間の会社だけでも実に多種多様な行為主体が介在するということである。取引関係ということにしぼっても、建築主(販売業者)、設計事務所(元請け、下請け)、民間確認検査機関、施工業者(元請け、下請け)、コンサルタント会社、そして買い主(消費者)……。これに地所、内装、広告、融資、等々の関係者を数えていったらきりがない。要するに無数の取引関係が結ばれ、広範複雑な分業が形成され、そしていわゆる市場経済が形成されているのだ。
 さてこの時、取引における関係者はどんな行動原理をとっているのか。かれらは「経済人」として、自らの効用や利潤を最大化すべく、その場その場で「合理的」に計算し「合理的」に行動しているのか。そしてまた、これら市場の住人たちはみな「最大化する行為者」として振るまい、その総結果として社会的厚生が高まり、均衡と調和に満ちた社会が実現しているのか。――経済学は、少なくとも新古典派経済学は、そう説明してきた。

住宅市場の人類学
 ブルデューは本書で「住宅市場」を例にとりつつ、まさにこうした経済学イデオロギーを真っ向から批判する。いわく、「経済学に与えられた典型的対象ともいえる一戸建て住宅の生産と商品化の問題についてあえて取り組むことにした。これにより、多くの経済学者たちが実質的に足を踏み入れている人類学的解釈に関する諸問題もまた浮かび上がらせることができよう」、と。
 つまり一戸建て住宅市場について、その供給は、政府や住宅メーカーによっていかに人為的に創出されたものであるか。また需要面では、住宅購入者の嗜好や性向がいかに社会的に構築されたものか。それを具体的に分析するのが本書「I 部住宅市場」である。国家官僚とそのなかでの主導権争い、地方自治体公務員と法規解釈の幅、大小の住宅メーカーとその戦略、販売担当者の攻めと守り、買い手(債務者)の夢と現実……。要するに、「構造」に絡めとられつつも「構造」の共犯者となっていく行為者たちの群れ。

経済の社会的構造
 そこから見えてくる人間像は、歴史も履歴もない「欲望の束」としての合理的計算主体などではない。社会/歴史に規定されつつ、自らもまた社会/歴史を生み出していくという、まさに「ハビトゥス」的人間である。経済は「市場経済」として完結しているのでなく、人間もいわゆる「経済人」として行為しているのでない。経済も人間もまさに「社会」的に構成され構造化されているのである。したがって経済学は、この人間学(人類学)のレベルから再構成されなければならない。それに取り組んだのが「II 部 経済人類学の諸原理」である。ブルデューによる現代経済の人類学的分析なのである。
 こうして住宅市場の住人たちは、そしてその人類学的分析は、ほかならぬ「経済の社会的構造」を照らし出す。

(やまだ・としお/九州産業大学教授)