しなやかさを押しつぶすもの
本にサインをといわれると、「しなやかに そして したたかに」などと書くことがある。そう生きたいという思いをこめてだが、岡部伊都子こそ、まさに、しなやかでしたたかなひとである。
何人かの岡部ファンは「したたかなひと」とはと抗議するかもしれない。しかし、見かけのたおやかさにだまされてはいけない。岡部は十分にしたたかだし、第一、しなやかさを押しつぶすものに対して、したたかでなくては、それを押し戻せないではないか。
「玉」で綴った本書の「玉砕」の項に石垣りんの詩が出て来た。あるいはと思いつつ読んでいって、その詩「崖」が登場して、私は深く納得した。。岡部の方が石垣より三歳上だが、二人は会ったことがあるのだろうか。石垣もしなやかでしたたかなひとだった。「崖」はこういう詩である。
「戦争の終り、/サイパン島の崖の上から/次々に身を投げた女たち。/美徳やら義理やら体裁やら/何やら。/火だの男だのに追いつめられて。/とばなければならないからとびこんだ。/ゆき場のないゆき場所。/(崖はいつも女をまっさかさまにする)/それがねえ/まだ一人も海にとどかないのだ。/十五年もたつというのに/どうしたんだろう。/あの、/女。」
岡部がこの詩を引いたのが一九七四年。それからさらに三十余年が過ぎて、詩がつくられてからは四十数年にもなるのに、この詩のリアリティは逆に増している。それを岡部もひしひしと感じているだろう。
「女をまっさかさまにする」ものにしたたかに抵抗するように、本書に収められた文章はいずれもが生々しい。生きている。
脅しのテクニック
岡部に電話口で歌わされたことがある。襟裳岬に講演に行き、終わって一息ついて宿から電話したら、カラオケの話になった。そうこうするうち、「歌って」と言われた。「いつか」と逃げていたら、「私は身体が弱いから、明日死ぬかもしれないのよ」と脅迫する。
それに屈して、電話口で歌ってしまった。あれは古賀メロディーの「影を慕いて」だったか……。
いずれにせよ、脅しのテクニックもなかなかのものである。読者はくれぐれも、表面の穏やかさに目をくらまされてはならない。
しかし、私は「しなやかさ」とともに、そうした「したたかさ」を持っている岡部が好きであり、そんな岡部に拍手している。
花あかりのひと
岡部は丈夫ではない。
それなのにというか、それでもというか、岡部は沖縄に講演に行ったり、韓国まで出かけたりする。それを聞いて、「えっ」と絶句していると、電話の向こうで、「心配かけるのも大好きやけど、裏切るのも大好き」などと、似合わぬ憎まれ口を叩いている。
「どこで死んでもいいやん。行けるところまで行きます」と言われては、こちらも唸るしかない。
早稲田大学教授の岡村遼司は岡部を「年々タカラヅカになる」と言ったという。歌劇(カゲキ)になるということである。
岡部はいつも、沖縄に行って元気を吸って帰って来る。沖縄は岡部の婚約者が亡くなった地であり、その木村邦夫が、自分は戦争に行くのは厭だと告白したのに、皇国少女だった岡部は、自分なら喜んで行く、と答えてしまった。それを生涯の悔いとして岡部は発言し、書きつづけてきた。
岡部を私は「花あかりのひと」と名づけた。花あかりとは、水に浮かべてともす丸いろうそくに、岡部が頼まれてつけた名だが、自ら、いのちの焔をもやして周囲を照らすその浮きろうそくの名こそ、岡部そのひとにふさわしいと思ったからである。
(さたか・まこと/評論家)
※全文は『玉ゆらめく』に収録(構成・編集部)