2003年10月01日

『機』2003年10月号:子どもたちの突きつけるもの 大石芳野

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写真家大石芳野が戦禍を生き抜いたアフガンの子どもたちを活写

子どもたちの輝きのもと
 どこへ行っても、“奇妙な格好”のわたしは子どもたちの興味の対象だ。目が小さい、鼻が低い、肌は白っぽい、背丈は低い……。しかも民族衣装に身を包んだアフガニスタンの女性からはみ出た装いの異邦人について、こそこそ、がやがやと観察しあう。観察が一通り終わると一目散にわたしを取り囲む。
 目指すは、めざとく見つけたカメラだ。褐色がかった肌に白い歯を際だたせて元気な声を張り上げる。
 「ワーイ、ワーイ、写真だ、写真だ、撮ってよー!」
 あの子もこの子も、大きな目をしっかり見開いて一人ひとりがはっきりと自分の存在をアピールする。数人でも大勢でもお構いなしに、いま自分がここにいるんだという主張を怠らない。かれらとわたしはまだ“初対面”なのに、かなり積極的だ。その態度には、自己がくっきりと漲っている。自分を撮ってくれるはずだという自信ともいえそうだ。
 一人ひとりの姿は、スポットライトが当っているような輝かしさがある。太陽が強いという意味ではない。子どもたちのこの輝きの基はどこにあるのだろうか。東南アジアの子どもたちともまた違ったたぐいの輝き方だ。
 強い自己主張がその源にあるのかもしれない。
 しかし、子どもたちがみなそれをぶつけてくるわけではない。恥じらって、口に手を当てながらクスクスと笑う男の子の姿はよく見かけるし、恥ずかしそうに人影に隠れるようにしてわたしをうかがう女の子もいる。幼い子になると、恥ずかしさと驚きが入り交じってか泣き出してしまうこともある。

深く残る戦争のきずあと
 子どもたちのストレートな表現に吸い込まれて目が眩む。とりわけ明るさや元気のよさには気持ちが奪われるが、次第に奥にしまっている感情が見え隠れする。そしてたくさんの目が、長い戦争がどんな日々だったかを雄弁に語りはじめる。遭遇した自分の体験を決して忘れてなるものか、という強い意志を滲ませながら。
 実際、心の淵をのぞかせる言葉は何人もから聞いた。
 「ぼくの父は戦争で死んだ。勇敢に戦ったことをぼくらは誇りにしている。だから、どんなに苦しくてもここから逃げなかったんだ。でも悔しい。絶対に忘れられない」 そう話したオミッドくん(一〇歳)は、カブールの自宅が崩壊してもすぐ近くのまだ僅かに屋根と壁が残っていた空き家で母親や弟妹たちと身を潜めていた。
 初めてオミッドくんに出会ったときは、大人びていながら荒んだ少年という印象だった。彼とは不思議なほど縁ができたと思うが、立ち話だけの子やすれ違いに等しいような子も多く、いまでもかれらと話せなかったことが心残りでならない。
 この地へ何度も足を運んだのは、こうした子どもたちが気になったからだともいえる。
 家族を奪われ、住まいも失い、路頭に迷うような日々。まだ幼くして人生の辛酸を嘗めさせられ、どれほど悔しく、悲しく辛かったことだろうか。もし、わたしやわたしの家族、友だちなどがそんな思いをしなければならなかったら、と思うとたまらない気持ちだ。

子どもたちのおかれた状況
 大人でさえ戦乱は厭だ。絶対にご免だ。子どもも大人も同じだが、違いは子どもはこの世に生まれてまだほんの少ししか人生というものを過ごしていないことにある。それだけに、悲しく辛く思えてしまう。生まれて一〇年やそこらで戦乱に巻き込まれ、憎しみや恨み、不信感などを抱いてしまうという事態を、わたしたち大人も、社会も、許していいのか、とよく思う。
 現実には、世界中の至る所に戦乱はある。たくさんのなかの一つなのだがとりわけ、アフガニスタンに注目したい。第一の理由は「二〇〇一・九・一一」の「報復」攻撃がこうした悲劇を生んでしまったことだ。アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンがいる、その拠点をたたくというだけの理由で、アフガニスタンの大地が攻撃の的になった。それ以前の戦争にしても、七九年以降のソ連、ソ連に対抗したアメリカ、と大国が深く関わったことで激しい戦争が続いてきたともいえる。むろん、アフガニスタンの指導層の責任も大きい。
 子どもたちはこうした戦乱の最中に生まれた。「復興」を看板に掲げた昨今、子どもたちが、たとえば「学校へ行こう」のキャンペーンに沿って学校へ行っているなら安心なのだが、実は、ほとんどの子どもたちが行きたくてうずうずしているのに、通うことができない。全国で小学校の就学率は男の子は三五パーセントあまり、女の子は三パーセントにしかすぎない。(中略)

子どもたちが突きつけるもの
 アフガニスタンを回りながら、こうした大勢の子どもたちに行き会ってきただけに、復興の途にあるから安心だとは今の段階ではとても思えない。五歳未満で死亡する子どもが四人に一人もいること自体、子どもにとって最悪の状況だ。部分的に見れば子どもたちは明るい。だが、一人ひとりが安心して暮らせる日々があってこそ、「安定」とか「復興」という言葉が地に着くのではないだろうか。
 子どもたちがわたしたちに突きつけるものは、人間は表面では計り知れない奥の深さがあるということだろう。理屈では誰しも分かり切っていることだ。しかし、それを身をもって語ることは絶望的に困難で過酷なことである。

(おおいし・よしの/写真家)