2010年11月01日

『機』2010年11月号:人文科学的な知の転換期 福井憲彦

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新版の刊行にあたって
 このたび、叢書〈歴史を拓く――『アナール』論文選〉の全四巻が、装いも新たに藤原書店から新版として刊行されることになった。かつて、全体の責任編集にあたった者の一人として、序言をしるせることを素直にうれしく思っている。(略)
 責任編集三名のうち、すでに他界されてしまった大先輩の二宮宏之さん、すさまじくできる直近の先輩樺山紘一さんと比して、当時の私は、問題意識や関心の幅は大きかったとしても、研究者としても教育者としてもまだ駆け出しで行き先も定かではなかった。したがって、留学から帰国してまだ間もなかった私にとって、この何人ものフランス史研究者を動員した翻訳の仕事は、みずから自身にとって挑戦でもあり勉強でもあった。(略)
 私は、収録すべき論文のリストを作り、どうすれば日本に対して少しでもインパクトがある選択組み合わせができるであろうかと、たたき台を提案して刊行までもっていく実務係を務めていた、といったらよいであろうか。ただ、相当に時間と苦労を要するこの種の仕事を追求できたのは、当時の日本の歴史学の状況に対して、いやむしろ歴史学に限らず人文社会科学の学問状況に対して、一種の苛立ちのようなものが若造の私を突き動かしていたような記憶がある。
 いまでこそ、日本でもフランス史の研究者に限らず歴史学の世界では「アナール」とか「アナール派」といってとくに新たな知見ではないし、あるいは「社会史」といって、それだけでは何か鋭い切り口が期待されるわけでもなかろう。いずれも、すでに日本の史学史のなかに位置づいた存在となり、いまではむしろ相対化の対象となっているといってもよいであろうか。それほど、この四半世紀で日本における歴史学の光景も変化してきた。しかし四半世紀前には、そうではなかった。(略)

不思議なめぐりあわせ
 このような時代的なコンテクストのなかで、樺山さんと私と、当時の編集長藤原さんとで、『アナール』誌の掲載論文からテーマを立てて選んだものを翻訳選集として出そうではないか、という話になった。最初にどういう機会に話が出たのか、いまとなっては記憶が定かでないが、とにかくこのような企画を進めるとすれば、二宮さんに加わっていただかずには進められないということで、お話させていただいたように覚えている。ちょうど二宮さんは、阿部謹也、良知力、川田順造の諸氏とともに『社会史研究』を創刊するために動いておられた時期にあたり、忙しいなかであったが、まさに柱として参画してくださったのである。(略)
 私自身は、十九世紀を中心として社会運動史と当時よんでいた領域で研究の道に踏み込みつつあったところであったが、当時までのアナール派は、どちらかというと中世と近世とを中心対象の時代として、しかもフランスでの史学史的な問題から政治権力や国家の問題を迂回するところが目立った。のちにこの状況は大きくまた変化するが、しかし当時の政治史への拒絶反応について私は批判的であり、まさか自分がアナール論文選の責任編集の一翼を担うことになるとは、じつは想像すらしていなかった。不思議なめぐりあわせというほかない。そしてこのときほど、あらためて『アナール』という雑誌をさかのぼってひっくり返し、目を通したことは、ほかにはなかった。(略)
 振り返れば、一九七〇年代半ばから八〇年代はじめにかけては、日本にせよフランスを含めた欧米にせよ、人文科学的な知の様相が大きく転換しようとしていた時代であったと思われる。それはまたおそらくは、国際的な政治経済をふくめて、大きく戦後体制が変動して転換しはじめた時代でもあって、そうしたなかにわれわれのこの営みも位置していたのではないか。こうした史学史的な検討が将来なされることを期待しておきたい。


(構成・編集部)
(ふくい・のりひこ/学習院大学学長)