2005年06月01日

『機』2005年6月号:ゾラの現代性を読み解く 小倉孝誠

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ゾラの多様な世界
 作家の没後百年という節目に合わせて、2002年から藤原書店で「ゾラ・セレクション」(全巻・別巻一)の刊行が始まった。これまで小説七巻とジャーナリスティックな著作一巻が出版され、あとは文学批評、美術評論、書簡集がそれぞれ一巻ずつ残されるのみとなった。そして最後には別巻として、『ゾラ・ハンドブック』が加わることになっている。文字どおり、わが国初の本格的なゾラ著作集である。
 それと並行してこの度、日仏の研究者たちの論考を集めた『ゾラの可能性――表象・科学・身体』が刊行される。十五名の著者たちのなかには文学研究者のみならず、歴史家、美術史家、科学哲学史家なども含まれる。専門分野が多岐にわたるというのは、ゾラという作家の射程の広さをよく示している。実際それを反映するかのように、本書に収められた諸論考は、十九世紀フランスが生んだゾラという巨大な作家の多様な世界を照らし出してくれるのだ。

歴史から身体へ
 ゾラは十九世紀後半のフランスを、そのあらゆる側面において語り尽くした作家である。当時のフランス社会を特徴づける、あるいは揺るがした諸問題がゾラ作品においてどのように表象されているかが、まず歴史的な視点から総括される(アラン・コルバン、モーリス・アギュロン、工藤庸子)。つづいて、五つのテーマに沿って、ゾラ文学の現代性が具体的に検証されていく。
 『ルーゴン=マッカール叢書』の作者が医学、遺伝学、テクノロジーなど同時代の科学的な知に深く染まっていたことはつとに指摘されてきた。それを単なる影響関係として論じるのではなく、フィクションの世界に転移させつつ、独自のイマージュ体系を築いたゾラの想像力の布置を問うことが可能であろう(アンリ・ミットラン、ジャック・ノワレ、金森修)。医学的な知との関連で重要なのが身体、とりわけ女性の身体のテーマであり、初期の『テレーズ・ラカン』から最晩年の『豊饒』にいたるまで、ゾラはこの主題に魅せられていた。ジェンダー批評の観点からみて、きわめて興味深い作家なのである(ミシェル・ペロー、小倉孝誠)。

視線の作家
 すぐれて「視線の作家」だったゾラは、人、もの、建築物、風景などを描写することに類い稀な才能を示し、絵画や写真に関心をいだき、その作品は二十世紀の映画作家たちにとって特権的な対象となった。その意味で、現代の視覚文化を先取りしていた作家である(稲賀繁美、高山宏、野崎歓)。そのゾラのまなざしをもっとも強く引きつけたもののひとつが都市、とりわけ「十九世紀の首都」パリとその風景だった。ゾラが表象したパリがあるからこそ、現代のわれわれは十九世紀後半のパリをイメージできるのである(朝比奈弘治、宮下志朗)。
 そして最後に、フランスと日本の例にそくして、ゾラと他の作家たちの、ときには思いがけない照応関係が論じられる。明治期の日本文学に決定的なインパクトをおよぼしたことは、周知のところだろう(荻野アンナ、柏木隆雄)。
 以上六つのセクションに分類された諸論考をとおして、読者はあらためて、ゾラという作家の豊かさと現代性を認識できるはずである。

(おぐら・こうせい/慶應義塾大学教授)