2002年12月01日

『機』2002年12月号:アーレントの現代的意義 杉浦敏子

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アーレント政治思想のエッセンスを明解に論じた格好の入門書!

アーレント・ルネッサンス
 ハンナ・アーレントはドイツ系ユダヤ人として一九〇六年ドイツ北部に生れ、ハイデガー、ヤスパースに学び気鋭の哲学者として将来を嘱望されていたが、ナチスのユダヤ人迫害のために、アメリカに亡命した政治思想家である。彼女は戦後この地で『全体主義の起源』『人間の条件』『革命について』などの著作を発表し注目された。そしてアメリカにおいてユダヤ系知識人の代表的論客として活躍し、とくに一九六一年のアイヒマン裁判を傍聴して書いた『イェルサレムのアイヒマン』は発表当時から大きな反響を巻き起こした。
 彼女の思想は全体主義に対する緻密な分析と、その背後の大衆社会化状況への鋭い洞察によって評価されたが、その後、一九六〇年代の公民権運動や世界的な学生反乱の時期に、参加民主主義の文脈で読まれ、また八〇年代後半の東欧革命の際には、民主主義の再構築(市民による下からの権力の創出)の観点から注目された。
 そして九〇年代冷戦終結後の混迷の時代の中で、アーレント・ルネッサンスと呼ばれる事態が生れ、夥しい量の研究書が英米圏やヨーロッパ大陸で出版されている。そこでは、人間の自由が表現される公的空間の創出や、複数性の擁護、政治の復権などの現代的テーマに加えて、ユダヤ人国家や国民国家批判という彼女の指摘が、中東問題の深刻化に伴って、幅広く取り上げられ議論されている。またトータルな意味での近代批判という彼女のスタンスには、ポスト・モダンの思想家も興味を寄せている。

政治の復権
 このような中で特に注目すべきは、彼女が『全体主義の起源』で分析したイデオロギーとテロルの問題である。全体主義の悪夢が二一世紀に再現されないという保証はどこにもない。彼女はこの分析の中で、現在でも新鮮な視角を我々に提供してくれる。
 イデオロギー的思考は、確実とされた前提から完全な一貫性をもってすべてを演繹するという方法で事実を処理する。イデオロギーの中ではすべての行為は受け入れられた公理からの演繹でしかない。皆が通常もっている共通感覚に照らしてみて間違っていると思われても、論理的に導きだされたものには従わざるを得ない。現実の世界は、偶然の出来事が起こるので、すべてが合致するイデオロギー的虚構のような一貫性を欠く。そこで人々は現実から虚構へと逃避を始める。イデオロギー的思考の自己強制は、人間が具体的現実との間にもっている関係性を破壊し、その論理性の圧力は人間の自発性と自由な思考を奪ってしまう。そして演繹的な絶対的真理は「意見」を沈黙させ、人間に一様性を課す。そこには人間の多数性を保障する場がない。
 同時に彼女はテロルについて述べ、人々が自由に動き回る空間を破壊し、人間生活の限りない豊穣性を単純化するのがテロルの支配だと語る。お互いの共通世界が破壊され相互関係が失われて、自分自身以外の何者にも頼れなくなった個人が同じ型にはめられて形成される大衆社会が成立したときはじめて、全体的支配は何者にも阻まれずに自己を貫徹したのである。彼女は人間の間柄から距離と差異を奪う大衆社会を批判し、人間の複数性、多様性を擁護し、それによって異質な他者との共生を可能にする道を探る。これは、冷戦終結後に多発する民族紛争の解決への貴重な示唆ではないか。彼女は複数の人々との関係において成り立つ自発的で集合的行為を「活動」と名付け、これが公的領域や政治的空間を成立させる基盤となると論じ、同時に「政治」という営みの復権を企図したのである。

(すぎうら・としこ/政治思想)