2018年09月18日

看取りの人生 後藤新平の「自治三訣」を生きて

9/18 毎日新聞(夕刊) 「著者のことば」欄 【山口敦雄氏】

 父は政治家で作家の鶴見祐輔、母は後藤新平の長女、姉は社会学者の鶴見和子、兄は哲学者の鶴見俊輔という家族のなかで育った。90歳にして、それぞれの看取りの記録を本にした。
 幼少の頃から母に「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」という後藤新平の自治三訣を言い聞かされた。「『看取り』を書き記すことはリベラルな家の『黒子』として育った自分の導かれた運命だったのではないか」
 大正デモクラシーの自由な空気のなかで育ち、米国に留学した10歳年上の姉と6歳年上の兄。一方で内山さんと弟の直輔は戦時色の濃い時代に教育を受けた。
 太平洋戦争が始まり、1942年に兄と姉は日米交換船で帰国し、同じ屋根の下で暮らした。本書執筆中、戦時下に妹と弟との価値観の違いを息苦しく思ったという兄の文章を読み、ショックを受けた。「戦争が家族を引き裂くことを知り、悲しくなり、筆が全く進まなくなった」と振り返る。
 父は米国との開戦に反対だったが、42年に翼賛選挙に当選し、衆院議員を務めた。このために戦後、5年間の公職追放になる。父との葛藤に悩んだ兄は、これを原点に思想上の転向を追及した「共同研究 転向」(全3冊)を出版した。しかし、父が脳梗塞で倒れ闘病生活を明るく過ごす姿を見て兄は「父とのケンカは俺の負けだ」と語ったという。
 戦争は家族を分断したが、兄弟姉妹の仲は良かった。2006年に姉が亡くなる。姉に<死にゆく人が、どんな和歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくのかを、貴方は客観的に記録しなさい>と言われ、最期の45日間の介護記録を克明にノートに残し、「鶴見和子病床日誌」を自費出版した。
 「二人ぼっちになったね」。姉が亡くなり、兄から電話がかかってきた。一番困った時に常に助けてくれた兄も15年に没した。執筆中に「戦争を二度と起こしてはならないという兄の思いの重みに改めて気づいた」という。
 姉の看病中に75歳で京都造形芸術大に入学し、83歳で卒業した。「次は植物画と俳句を合わせた本を出したい」と意気込んでいる。