2018年08月05日

現場とつながる学者人生 市民環境運動と共に半世紀

8/5 WOMEN’S DEMOCRATIC JOURNAL femin ふぇみん婦人民主新聞 No.3159

1940年琵琶湖の西岸に生まれた著者が、学者として公害問題に真剣にとりくんだ半世紀を記した書。ふぇみんは「ニッソール農薬裁判」と省農薬の「松本みかん」で著者にお世話になった。
 農薬は殺虫・殺菌・殺草を目的とするものだから、本来は農毒である、と著者は農薬ゼミで語る。公害の現場に出かけると、下流から上流に遡って問題の本質に到着し、解明する。アルミニウム公害、琵琶湖汚染調査、飲み水調査、合成洗剤追放運動、干上がったアラル海とカザフスタン調査などなど。東の宇井純、西の石田紀郎といわれたのも納得だ。
 第3次琵琶湖調査中に福島原発事故を知り、いちはやく十数名の研究仲間と連絡を取り、時の菅直人首相に声明文を届けた。槌田劭、熊取6人衆、原田正純、中地重晴、荻野晃也らが名を連ねる。原発事故は究極の公害と言い、今も福島原発告訴団関西を束ねる。活発で継続的な活動をする著者から、自ら動くことの大切さを学んだ。