2020年09月18日

最近の後藤新平関連記事

新型コロナウイルスの感染流行については、まだまだ先行きが見通せませんが、その感染拡大が明白となって以降、「後藤新平」の名のマス・メディアへの露出は確実に増加しています。

ここでは、9月に報道、配信された後藤新平関連の記事を簡単に紹介させて頂きます。

先ずは、9月1日に配信されたYahoo!ニュースの福和伸夫(名古屋大学減災連携研究センター、センター長・教授)の署名記事「富国強兵で短期間に近代化したときに起きたスペイン風邪と関東地震」です。ここでは、後藤新平の日清戦争の検疫事業、南満洲鉄道初代総裁としての満洲経営、東京市長時代、スペイン風邪への対抗措置として行われた、東京市の上水道への塩素消毒の導入が言及されています。

次に、9月4日の『産経新聞』、「【100年の森 明治神宮物語】震災 東京炎上、被災者に開放された外苑」という記事です。ここでは、「林学者の本多静六、建築構造学者の佐野利器(としかた)ら明治神宮の造営に携わった多くの人材」が後藤とともに、関東大震災後の復興事業に携わったことが言及されています。

続いて紹介したいのは、nippon.comの古川勝三氏による2017年から続く「台湾を変えた日本人シリーズ」です。9月12日に掲載された本シリーズの最新号は「花蓮に私営移民村を最初に立ち上げた日本人 賀田金三郎」を取り上げています。賀田は、台湾東部の花蓮・賀田村への移民を立ち上げた人物で、台湾総督府の後藤新平民政長官から、「難問多けれど、発展すべき可能性は大なり」「この開墾を実現できる人物は、金三郎が最適である」と言われた男です。

最後に紹介するのは、9月18日、つまり本日、日本経済新聞に掲載された記事「湘南の海水浴史「何となく周知の事象」を研究――医療行為から観光、ライフスタイル発信地へ 大矢悠三子」です。本記事は、「医師でのちに大臣を歴任した後藤新平が愛知の大野で、内務省の初代衛生局長を務めた長与専斎が三重の二見浦で海水浴場の開設に尽力し」たことを起点に、「なぜ大磯そして湘南」が海水浴場発祥の地となったのかが気になった、大矢悠三子氏の歴史事始といった記事になっています。