2024年12月26日

月刊PR誌『機』2024年12月号 巻頭「川満信一さんを悼む」

 

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社主の出版随想

▼今年も残り少ない日になった。ここ数年、琉球の友人たちが一人一人他界し、淋しい限りだ。この数ヶ月前に、川満信一という大詩人を失った。川満さんとは、約半世紀前に結成された「沖縄平和百人委員会」主催の出版パーティ(82年11月)以来だ。東大を定年で辞められた玉野井芳郎氏の『生命系のエコノミー』の出版を記念した会の時だ。
▼当時の沖縄は、72年に「本土復帰」したが、まだまだ発展・開発は覚束ないものだった。パーティが終った後、二次会に海勢頭豊主宰の「パピリオン」に行くことになった。夜の9時頃だった。唄と演奏、踊りも終わり、そろそろ帰り支度をしていると、下駄ばきの5、6人が入ってくるなり、演奏に合わせて踊り始めるではないか。12時頃だ。明日は、タイムスの記者が、宜野湾から嘉手納、読谷、コザへと朝早くから車を出して案内してくれることになっていたのでもう引き揚げようと思っていた。「彼らは明日、休み?」と訊くと、「8時から働いているよ」と。着いた早々、この文化ギャップに度肝を抜かれた。
▼或る日のこと。川満信一さんと「とまりん」で昼食を摂りながら、「大田知事の出身地ってどんなとこ? 久米島に行きたいね」と言うと笑ってる。船の出る時刻を調べると、間もなく出航の最終便。急いで支度して乗り込んだ。久米島を散策していると良さそうな呑み屋があり、時を忘れてしたたか呑んだ。勿論その日は、那覇には戻れず、宿に一泊することになった。川満さんは笑いながら、「まさか今日久米島に来ることになるなんて。貴方は恐るべき人だな」と。こちらは、数時間乗船すれば連れていってくれる、ぐらいの軽い気持ちだったが、やはり川満さんからすれば、沖縄島から久米島は、遠い旅のようだった。その後、何回もその時の「驚き」を繰り返された。その地理的距離だけではなく、それぞれの歴史が持つ意味を知ることになるのは、もう少し時間が必要だった。
▼08年に、M氏と「ゆいまーる〈琉球の自治〉」というフォーラムを起ち上げ、10年間、琉球文化圏(奄美諸島から沖縄、宮古、八重山に至る島嶼群)の島々を巡りながら、その島々の有志と車座で三日三晩議論する集いを持った。春・秋の年2回。春は、沖縄島以外の離島。秋は、沖縄島を取り囲んでいる島々と。その時いつも温かい手を差し伸べてくれたのが川満さんだった。まだまだ川満さんに教えてもらいたいことは沢山あったが、また一人大事な琉球人を喪ってしまった。
合掌(亮)

12月号目次

■追悼・川満信一さん
喜納昌吉  「稀有な思想家、川満信一」
ローゼル川田  「川満信一がいた場所」
仲程昌徳  「文学館の実現を」

■天然痘を根絶した恩師・蟻田功の遺言から
木村盛世  「ヒポクラテスの告発」

■ロングセラー『リオリエント』、待望の新版
山下範久  「四半世紀後の『リオリエント』」

■〈書評〉カレール=ダンコース『崩壊したソ連帝国』3
宮脇淳子  「ソビエト社会でいかにしてムスリムたりえたか」

〈連載〉叶 芳和 日本ワイン 揺籃期の挑戦者8「古木ワインは美味しい?」
    山口昌子 パリの街角から24「ブランリー河岸11番地」
    田中道子 メキシコからの通信21「クラウディアの治安対策」
    宮脇淳子 歴史から中国を観る60「宋から始まるシナの近世」
    鎌田 慧 今、日本は68「追悼 小泉信一記者」
    村上陽一郎 科学史上の人びと21「ケストラー(承前)」
    黒井千次 あの人 この人21(最終回)「大きな黒い眼」
    山折哲雄 いま、考えること21「自由の岸辺はいずこ」
    中西 進 花満径105「桃李の歌(8)」

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