社主の出版随想
▼大田昌秀(1925~2017)享年92。沖縄県久米島出身。1990~98年まで沖縄県知事を二期務める。この人の名前を聴いて、イメージできる人は、今では沖縄戦に些かの関心がある人に限られるかもしれない。時の流れは早い。
最晩年の10年位、沖縄島に出かけると必ず、大田氏に会いに、自ら創られた私設の沖縄国際平和研究所に立ち寄った。初めておめにかかった時は、1階に展示されている沖縄戦の写真数百枚を大田氏直々の説明で拝見した。すべて米国から自費で買い取り収集したと。この10倍は、まだ展示できなくて倉庫に眠っていると。国や県の行政がやる仕事である。驚くべき記録である。これを観て、この方の意志と実行力に感嘆させられた。この仕事だけでも物凄い事業である。
▼更に、壮絶なる仕事を、知事時代の二期目に残された。95年6月の「平和の礎」の建立である。国籍、軍人、民間の別なく、沖縄戦で生命を落したすべての方の名を一人一人刻むという事業。氏の理念、死者に区別があってはならないという強い信念があればこそであろう。20余万人の一人一人の名前が刻まれている。今も、判明すれば、刻まれている。この碑を初めて見た時、死者を悼むということの真意の一端を垣間みる思いがした。この碑を見ていると、一人一人の切なる訴えが己れに語りかけてくる気がした。まだ20歳そこそこの将来ある若者たちが、無為なる戦争――勝っても負けても――に生命を献げる。近代兵器の前ではひとたまりもないことを知りながら。どれだけの若者が生命を失くしたことか。戦後生まれの拙が、この戦争を想像することは出来ない。23歳でフィリピン・バギオで戦死した若き“天性の詩人”竹内浩三の「全集」を40年前に出版した時も、その手帳を見て涙が溢れて留まらなかった。姉上に戦地から送ってきた宮沢賢治の本を刳り抜いた中に、手帳が匿されていた。
▼大田昌秀の偉業。大田の死後まもなく、その沖縄国際平和研究所は閉館された。大田が収集した数千枚に及ぶ記録写真は今どうなっているのか。どこかに保存され、利用できるようになっているのか。今なお、戦争の傷痕は広がるばかりだ。人の生命の尊さを説く人は多いが、記録を残された人の仕事を最も大切にしようという運動が、日本中から巻き起こる日が近く訪れることを、戦後80年に向けて期待したい。(亮)
8月号目次
■四國五郎 生誕百年・没十年
永田浩三 「これは戦争のドキュメンタリーであり、等身大の歴史書だ!」
■新たな「天皇学」への入門講座
所 功 「「天皇学」への展望」
所 功 「〈追悼〉市村真一博士への感謝」
■今、子どもたちを取り巻く問題を集約
古庄弘枝 「13歳からの環境学」
■『玉井義臣の全仕事 あしなが運動六十年』第2回配本
玉井義臣 「あしなが育英会の誕生と発展」
■山口昌子 「フランスの「極右」は「極右」!」
■メスロピャン・メリネ 「アルメニアの今日」
〈連載〉叶 芳和 日本ワイン 揺籃期の挑戦者4「大型化で安価なワイン」
山口昌子 パリの街角から20「パリ五輪狂騒曲」
田中道子 メキシコからの通信17「継承すべき課題」
宮脇淳子 歴史から中国を観る56「訓読していた「時文」」
鎌田 慧 今、日本は64「原発無責任時代」
村上陽一郎 科学史上の人びと17「渡邊慧」
方波見康雄 「地域医療百年」から医療を考える39「大いなるいのち」
黒井千次 あの人 この人17「窓の中の子供」
山折哲雄 いま、考えること17「「ハイチ革命」との出会い」
中西 進 花満径101「桃李の歌(4)」
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