社主の出版随想
▼ふと思うことがある。「何か社会のお役に立ってるかな」と。出版という仕事に身を投じて今年で52年目になる。1973年、オイルショックで紙材暴騰、紙がなければ本は出来ないことを実感した。硬派の出版物の市場も、それなりに読者が居た。新聞書評も効いた。読者も20代から30代が中心だった。そういう雰囲気が一変し始めたのは、20年前頃からか。長期デフレの影響もかなり大きいが、日本全体に緊張感が薄らいできた。95年早々に、阪神淡路大震災、オウム地下鉄サリン事件などが起き、その後まもなく東日本大震災、福島原発事故が起き、20年には、コロナ禍のパンデミックが発生した。まだ完全に終焉とは行かないが、ほぼ終息を迎えている。社会はその延長上で変わることなく今日に至っている。
▼この国は、戦後80年近く経ったが、戦後、自主的、自発的に国作りを為してきたのだろうか、という疑問が湧く。45年の玉音放送で国民が敗戦を知る。無条件降伏下、GHQに占領支配されて6年半。この間に、憲法はじめ種々の制度が、GHQ指揮下で作られていった。与えられた「戦後民主主義」下で育った我ら。戦前は“悪”で戦前から学ぶものなし、という教育を授かった。かつて36、7年生まれの人からも、学校で教えられることが全く逆になり、子どもなりにどうしたものか戸惑った、という話をよく聴かされた。
▼戦後の第一次ベビーブームに生を享け、貧しかったが、周囲には山や川や田畑があった。そこには、色んな生き物がいっぱい居る中で日々暮らすことができた。しかし、それも束の間、60年代からの高度成長の中、川は汚染され、田は農薬散布、山は切り崩され、巨大な建物が建てられた。瞬く間に社会は一変してしまった。これが、十代の体験だ。70年大阪吹田で万国博覧会が催された。全国からも外国からも多くの人が来場した。世間では大成功のように謳われたが、拙自身、一度も行かなかった。自分たちの大切な自然を破壊した墓場をどうしても訪ねる気がしなかったのだ。
▼「今、人間が自然を破壊しています。しかし、人間もこの自然の一部なんですよ」と、声高に石牟礼道子は語る。拙が齢50を過ぎた頃だ。今なお自然の破壊は続き、われわれの体にも異常が発生・増殖しているように思う。今われわれは、後人に何を残さなければならないかを静かに考えている。(亮)
6月号目次
■『甦るシモーヌ・ヴェイユ 別冊『環』29』刊行
鈴木順子 「甦るシモーヌ・ヴェイユ」
山田登世子 「ヴェイユの「愛の狂気」」
■レーニン没百年。グッバイ・レーニン!
伴野文夫 「二人のウラジーミル」
■「絶対の安全」は存在しない!
山口祐弘 「核 安全性の限界」
〈連載〉叶 芳和 日本ワイン 揺籃期の挑戦者2「研究者の脱サラ新規参入」
山口昌子 パリの街角から18「ノルマンディー上陸作戦八十周年」
田中道子 メキシコからの通信15「政治亡命権保証はメキシコの国是」
宮脇淳子 歴史から中国を観る54「後漢時代、儒教が国教になる」
鎌田 慧 今、日本は62「二人の裁判官」
村上陽一郎 科学史上の人びと15「オッペンハイマー」
方波見康雄 「地域医療百年」から医療を考える37「いのちのメッセージ」
黒井千次 あの人 この人15「遠くに居た人」
山折哲雄 いま、考えること15「インナーピース」
中西 進 花満径99「桃李の歌(2)」
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