2022年07月22日

月刊PR誌『機』2022年7月号 巻頭「生命を賭けた最晩年の後藤新平の活動――プロジェクト型天才の本領発揮」

 

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社主の出版随想

▼沖縄は日本か?   沖縄に行くと、ウチナンチュー、ヤマトンチューという言葉が頻繁に飛び交う。区別していると同時に、差別もしているのだろう。明治維新以降をとってみても、1609年からの薩摩藩による琉球支配の下、明治5年、新政府は琉球藩を設置、12年には、沖縄県になった(琉球処分)。
▼1945年3月、日米戦争の中、米軍が上陸したのが沖縄戦のはじまり。6月23日戦闘終了。51年9月、サンフランシスコ講和会議で、日米安保条約が締結される。翌52年米軍支配下における琉球政府発足。その後60年の安保改定時に、「地位協定」を含む日米協定が締結する。70年には、有名な反米騒動がコザ市で。71年、沖縄返還協定が締結され、翌72年、沖縄が本土復帰され、沖縄県となる。これが、手短かな日本と沖縄との関係史だが、その「本土復帰」をめぐって、当時沖縄で大論争があったことは本土では意外と知られていない。70年前後の大学闘争のデモでも、“沖縄を返せ”というシュプレヒコールが何の疑いもなく、サヨク陣営から声高に叫ばれていた。
▼己れにとって沖縄とは、何か?を考え始めたのは、82年に初めて沖縄の地を訪れてからだ。玉野井芳郎さんの出版記念会に招ばれた時だ。主催は、「沖縄平和百人委員会」。その二次会で、海勢頭豊の店パピリオンに連れて行かれた。12時を過ぎたので、お暇しようと思った矢先、下駄履きの男達が5、6人ドカドカと入ってくるや踊り始めたのだ。「彼らは、明日休みの方ですか?」「いやあー、彼ら8時から働きますよ」と。本当にビックリした。ここに、本土との異文化を最初に感じた。その20年後に、宜野湾市で、本土と沖縄の知識人とで熱論を交わす大シンポジウムの機会をもった。その夜海勢頭豊氏と再会した。それ以降、毎年のように沖縄を訪ね、2007年春から、「ゆいまーる琉球の自治」を松島泰勝氏と起ち上げた。約10年、琉球文化圏の大小20余りの島民と車座で夜通し3日間、本音で議論した。その時感じたことは、琉球文化圏の島々で文化が違うのだということだ。
▼本当に多様な島嶼である。その多様さが豊かさの顕れである。翻ってみると、わが島国日本も、多様な文化を各々の土地土地で育んできたということ。その多様な文化を今こそ取り戻すようにしなければいけないのではないか、この「復帰50年」にあたって黙考した。(亮)

7月号目次

■鬼気迫る最晩年の行動に迫る
生命を賭けた最晩年の後藤新平の活動 青山 佾

■体の左側だけに現れる「アシンメトリ現象」とは。
モナ・リザの左目 花山水清

■思想・文化・歴史から、今、多角的に問い直す
絶対不戦の思想 川満信一

■戯曲「沖宮」の珠玉の初舞台を、映像化
天の億土 石牟礼道子

〈リレー連載〉近代日本を作った100人100「新島襄――キリスト教主義教育の父」 石川健次郎
    *好評につき、次号以降も続きます
〈連載〉「地域医療百年」から医療を考える16「地域で共に認知症を衛る2」 方波見康雄
    歴史から中国を観る31「梵語を音訳した漢字」 宮脇淳子
    今、日本は39「下北核半島の空虚」 鎌田慧
    花満径76「熊野と吉野」 中西進
    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―71「もうひとつの五月九日」 加藤晴久

イベント報告(「アイヌ力――白老から世界へ」)
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