2022年01月24日

『機』2022年1月号

 

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社主の出版随想

▼新しい年の幕開けである。年が改まるということは何とも気持ちの良いものである。昨年も多くの知己や師との別れがあったが、又新しい出会いもあった。「人生は、一期一会」と、15年前に齢75で亡くなった小田実もよく言っていたが、今はまさしくその境地である。この世に誕生してから数日前に、73年の生命を頂いてきた。まだまだ何ほどのものも社会に貢献できてないが、この「一期一会」を心に刻みつけ、この地球上のすべてに感謝しながら、今年も精一杯、信ずる道を歩んでいきたいと思っている。
▼2000年に『石牟礼道子全集』の出版を決め、石牟礼宅で、この全集企画について相談した時、彼女は、「私はこれから高群逸枝を、残りの人生を賭けて書いていきたいと思います」と言われた。それ程、彼女にとっての高群逸枝という存在は大きかったと思われる。しかし残念ながら、その時のご意志は、その後18年間に、1本のエセーも書けず果たされなかった。わずか、『全集』のあとがきと、40年以上前に『高群逸枝雑誌』(橋本憲三編集)の連載をまとめた『最後の人――詩人 高群逸枝』のあとがき位のものだ。
▼これは何故か?  と思うこともあったが、自他ともに「高群逸枝の生まれ変わり」と認める存在故、書けなかったのかもしれない。逸枝亡き後、夫橋本憲三から「あなたの逸枝宛ての手紙は読ませていただきました。逸枝も大層喜んでおりましたが、その時逸枝はもう息絶える寸前だったのです。……もし良ければ逸枝が仕事をしていた森の家を壊す前にお使い下さい」と便りをいただいた、と。道子は、ここで処女作『苦海浄土』の雑誌連載その他の原稿を約半年あまり書くことになる。
▼道子も逸枝も〝詩人〟である。歌詠みの世界から誕生した人たちである。日本の伝統を引く和歌の世界。短詩型の定型。自分の今の思いや想いを縦横に謳う。1894年と1927年の出生。齢は三十余り違っても、近代化に血道を上げる日本の状況の中で暮してきたことは、余り変わらない。大東亜戦争や親族の死を体験し、戦後、逸枝は20年、道子は70年余生きた。憲三の妹静子は、石牟礼さんと一緒に訪ねた折、「兄は姉のためにすべてをつぎこんで生きました。姉はそれだけの人生を生きぬいてきました」「姉の作品は、どうぞご自由にお使いになって、後世の人の役に立てて下さい」と、別れ際に語られた。高群逸枝と石牟礼道子。2人は、同志であり、もし面会していたら、あまりにも良く似ているのでお互い微笑みを交わしていたかもしれない。(亮)

1月号目次

■今、なぜ高群逸枝か
女性の中の原宗教 石牟礼道子
高群逸枝の詩 芹沢俊介
『娘巡礼記』を読む 山下悦子 芹沢俊介
『招婿婚の研究』の批判的継承 服藤早苗

■来る時代を切り拓く、自治・自立の思想
リバタリアンとは何か 江崎道朗・渡瀬裕哉・倉山満・宮脇淳子

■からだが弾け、ことばが動きだす「竹内レッスン」
竹内レッスン! からだで考える 森洋子
『竹内レッスン!』に寄せて 米沢唯

〈リレー連載〉近代日本を作った100人94 「荻野吟子――身をもって示した女性の自立」 広瀬玲子
〈新連載〉沖縄からの声XV―1「「石垣市自治基本条例」の改悪を衝く」 川平成雄
〈連載〉「地域医療百年」から医療を考える10「地域で共に診る」 方波見康雄
    歴史から中国を観る25「皇帝の四分の三は、漢人ではない」 宮脇淳子
    今、日本は33「振興という名の侵攻」 鎌田慧
    花満径70「化熊とは」 中西進
    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―65「教会(カトリック)の崩壊?」 加藤晴久

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