2021年11月25日

『機』2021年11月号

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社主の出版随想

▼この国は、一体どこに進もうとしているのか? 誰が舵取りをしているのか? 集団合議制で決定して、誰も責任を取らないシステムになっているのか? 国家の非常時には、このところいつも考えさせられる。そう思っている国民は少なからず居るのではないか。
▼先日、各紙に、「『布マスク8200万枚未配布』『保管費用6億円』会計検査院調べ」という大見出しが躍った。確か、昨春アベ首相が、早々に決定し、「早くこのマスクを付けて、感染から身を守って下さい」との切なる願いから各所に届けられた、通称“アベノマスク”とも呼ばれた。小社には、1世帯(事業所含め)あたりの2枚だけ届いた。このマスクが8200万枚(約115億円相当)も、今年3月時点で配布されずに倉庫に保管されていたことが、この10月下旬にわかったという。その保管費用は、3月時点で約6億円と。今なら半年経っているから約10億円というところか。
▼このムダな費用の責任は、誰が取るのか。国民の税金の使用は、アベ首相一人が決めたのではなく、おそらく各省庁の大臣や官僚のトップが関与していたに違いない。だとすると、わが国は、三権分立の立憲国家故、司法の法廷でこのムダ使いの責任を明確にせねばならないはずである。しかし、どういうわけか、この国のカタチは、主権在民とはいえ、主権は国民になさそうだ。立法府の議員に選ばれた国民、つまり選民によってすべてが決められるシステムになっている。少数の「声なき声」は国会には届かないシステムになっている。選挙の時だけ、選挙権を持つ国民に低姿勢で臨むが、その地位を確保した暁には、国民に居丈高な態度を当然至極で取る。この国は、「本当に“民主主義”国家なの?」という問いも出てきてはいるが、今現在大きな力にはなっていない。
▼ことは、この程度のことではない。原発の高速増殖炉もんじゅや六ヶ所村再処理工場で、一体どれだけのムダ使いがなされているか。先のムダ使いの百倍や千倍ではきかないだろう。この責任は一体誰が取るのだろう? この事業を進めた責任者は、もうこの世に居ない。次世代、次々世代に負の遺産としてこのツケを遺すしかない。沖縄では、このコロナ禍の中でも粛然と進行している辺野古の埋め立て工事にしても然り。その地は、埋め立てには適さないと専門家達が声を揃えて言っても、県民投票で多数の反対票で県民の勝利に終わっても、この国家事業は聴く耳を持たない。いったい、この国の主権は誰が持っているのか、改めて問いを立てたいと思う。今や国民一人一人の自治的自覚が問われている。(亮)

11月号目次

■「地球温暖化」研究に、ノーベル物理学賞
米国籍の真鍋淑郎氏に 相良邦夫

■地中海史を塗り替えた最重要書、完訳!
ブローデルの名著『地中海』と、どう違うか D・アブラフィア

■「在日を生きる」ことの意味を問う詩集『新潟』
〈インタビュー〉三八度線と新潟 金時鐘

■女性史の金字塔、詩人・高群逸枝の初の全貌
〈インタビュー〉いま、なぜ高群逸枝か 山下悦子

〈リレー連載〉近代日本を作った100人92「高野長英――権力が産み落とした経世家」 桐原健真
〈連載〉「地域医療百年」から医療を考える8「断片と感性」 方波見康雄
    歴史から中国を観る23「新疆はもともと一つにまとまっていなかった」 宮脇淳子
    沖縄からの声XIV―2「夏島の沖縄人」 仲程昌徳
    今、日本は31「夢の島」 鎌田慧
    花満径68「窓の月(7)」 中西進
    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―63「憲法とアジール権」 加藤晴久

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