2019年10月24日

『機』2019年10月号

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社主の出版随想

▼昔の読書人ならイマニュエル・ウォーラーステインと聞くと、「ああ、あの従属論の」とわかるはずだが、その従属論者がいつ「世界システム」論者になったかだ。’70年代の世界の学問状況は、「’68年革命」後どんどん変わっていったといってよい。社会科学の王者、マルクス主義の衰退が目立ち始め、それに代わる新たな世界認識、社会認識の方法の模索の時代の始まりであった。歴史学、社会学、経済学、精神分析(心理学)……。クーンの『科学革命の構造』も。自然科学でも「ゆらぎ」「複雑系」……等、新しい概念での捉え返しがあった。又、DNAやゲノム等の発見で、生命科学が誕生したのも。とにかく’70年代は模索の時代。後半期には、〝性〟にまつわる思想、歴史的な新しい捉え方として、セクシュアリテやジェンダーなど、フーコーやイリイチから鋭い提起があった。フェミニズム抬頭もこの頃だ。

▼ウォーラーステインが「世界システム」論を引っさげて登場するのがこの頃だ。「国民国家」の枠組みでは捉えられない、この五百年の「近代世界システム」の提唱である。従来のマルクス主義の枠を超えた試みであった。日本でも八一年に『近代世界システム』が翻訳紹介された。八九年、来日中のウォーラーステイン氏とお会いした。彼の肩書きに何かを感じていたので、「あなたとブローデルはどういうご関係?」とまず聞いてみた。彼は、待ってましたとばかり、「ブローデルの後を継いでるのは、私だ!」と胸を張り、「今のアナール学派は、ブローデルからどんどん遠くに離れていってる」と。その後、色々と談笑が続いた後、「これからのあなたの仕事の邦訳出版権を戴けますか」というと、「喜んでお渡ししましょう。今契約書にサインしよう」と書いてくれた。世界の知識人は、そういう実務的なことは、とにかく素早い。時間が惜しいのだ。イリイチもブルデューも……。

▼ウォーラーステインの本は、現在二十点弱、小社から出版されている。A―G・フランク『リオリエント』も副産物。この四、五年氏との便りも途絶えていた。斃れる寸前まで、現在の世界の状況分析の文章を書いていたようだ。巨きな人だった。残念である。合掌(亮)

 

10月号目次

■名随筆の数々を遺した“文人”のすべて 〈森繁久彌コレクション〉発刊 石原慎太郎/加藤登紀子/黒柳徹子/松本白鸚/山田洋次 昨日の朝顔は、今日は咲かない 森繁久彌

■明治以来、日本はなぜフランスに恋い焦がれてきたか? 社会科学者の眼でみる“フランスかぶれ”ニッポン 橘木俊詔

■「中村桂子コレクション」(第3回配本) とらえにくくなった「生きもの」としての子ども 髙村薫

■ブルデュー最大の問題作、ついに完訳刊行迫る! 名著『世界の悲惨』を語る(続) P・ブルデュー

■社会科学の全領野を包括した社会学者、死去 ウォーラーステインを悼む 山下範久

〈リレー連載〉近代日本を作った100人67「桂太郎――軍から政治家を経て政党へ」 千葉功

〈連載〉今、中国は3「『闘争』の復活」王柯

    今、日本は6「加害者の無知」鎌田慧

    沖縄からの声Ⅵ―3(最終回)「沖縄移民青年の意義」比屋根照夫

    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―38「メッカ詣で」加藤晴久

    花満径43「春服の儒者」中西進

    生きているを見つめ、生きるを考える55「新しい言葉を覚えたくさせる発見」中村桂子

    国宝『医心方』からみる31「柿の効能」槇佐知子

    9・11月刊案内/読者の声・書評日誌/刊行案内・書店様へ/告知・出版随想