2019年09月17日

『機』2019年9月号

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社主の出版随想

▼チャオ埴原三鈴女史が今八月急逝された。小社から約八年前に、朝日新聞の元論説主幹・中馬清福氏と共著で『「排日移民法」と闘った外交官――一九二〇年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直』を著された方である。旧知の中馬氏から話があった。「第一次大戦後の一九二〇年代の世界史、特に日米関係について、当時最年少の駐米大使埴原正直ってお聞きになったことありますか?」「いや、知りません」「その縁戚筋のオーストラリア在住の大学教授が、アメリカでの評価に比し、日本ではもう忘れられてしまっているのでは?と。何とか彼の名誉を回復したい。今度日本に帰国の際、お会いしていただけませんか」と。二〇〇九年の春のことだった。

▼三鈴女史から埴原正直のアウトラインをお聞きするところから始まった。「語学の達人」「山梨の出身」「出世頭」……’19年に43歳で外務事務次官。’22年に、46歳で駐米全権大使に。’24年米「排日移民法」阻止のため、国務長官ヒューズ宛てに書簡。その中の「重大な結果」の一句が国内で問題とされ、法案成立。その責任を取らされ帰国を命じられ、三年後に退官。十年後に死去。

▼女史は、アメリカ国内で当時の膨大な資料に当たり、真実を自らの手で書きたい。大体資料集めは済んだ。当時も現在も、アメリカでは埴原を誹謗中傷するものは殆んどなく、今も埴原の評価は頗る良し、と。「排日移民法」成立の責任をどうして埴原一人に負わせたのか? 一体誰が? しかも、帰国後、“出世頭”の埴原が、退官に追い込まれ、それから五〇代の若さで死に至った。その上、戦前の日米関係にとって大事な法案の当事者が、完全に歴史から抹消されてしまった。

▼二〇一一年末に日本で出版された。ところが、ある日、知り合いの記者から電話があり、「この本は剽窃ではないかという電話が入った」という。早速その相手に、手紙とメールで送信するもいまだ応答なし。恐らく各紙にそういう電話をかけたのだろう。この本は、日本では完全に抹殺された。その後、女史から英語版“The Turning Point in US-Japan Relations”が送り届けられた。日本では、非道い扱いだったが、アメリカで出版されたことに感謝したい。合掌(亮)

9月号目次

■生誕百年!『兜太』第3号「キーンと兜太――俳句の国際性」
父ドナルド・キーンと金子兜太 キーン誠己
金子兜太さんの遺したもの 黒田杏子・下重暁子・嵐山光三郎・河邑厚徳

■アメリカ女性史研究のパイオニア メアリ・ビーアドと女性史 上村千賀子

■私は何者か? ハイチ出身ケベック作家が語る、自らの全貌 芭蕉のくにで D・ラフェリエール

■ブルデュー最大の問題作、ついに完訳刊行迫る 名著『世界の悲惨』を語る P・ブルデュー

〈リレー連載〉今、中国は2「習近平が目指す『中国』」 王柯

       近代日本を作った100人66「ローレンツ・フォン・シュタイン」 鈴木一策

〈連   載〉今、日本は5「戦後米軍占領下の怪事件」 鎌田慧

       沖縄からの声Ⅵ―2「伊波月城のアジア観」 比屋根照夫

       『ル・モンド』から世界を読むⅡ―37「ホメオパシー」 加藤晴久

       花満径42「明王と菩薩」 中西進

       生きているを見つめ、生きるを考える54「わからないことはわからないという話」 中村桂子

       国宝『医心方』からみる30「蓮の実の効用」 槇佐知子

8・10月刊案内/読者の声・書評日誌/イベント報告(後藤新平の会/山百合忌)/刊行案内・書店様へ/告知・出版随想