2005年01月01日

『機』2005年1月号:農民の幻想性と自然讃歌 持田明子

前号   次号


民間伝承のすぐれた採集者
『魔の沼』(1846年)は、作者サンドが幼いときから生涯の多くの時を過ごし、こよなく愛したフランス中部ベリー地方の自然を舞台に、農民たちの繰り広げる素朴な愛の物語であり、今なお最もよく読まれている作品の一つである。
 サンドが「田園小説」群の着想を得たのは、一つにはベリー地方に伝わる伝承・伝説の幻想的世界からであった。幼い頃、コランベと名づけた自分だけの神を創り出し、庭園の雑木林の茂みの中に苔やきれいな小石や貝殻で祭壇を築いて夢想に耽ったエピソード、あるいは、少女時代のとある日、ひとり修道院の聖堂にひざまずいていた時、神の声がはっきり聞こえたという神秘的体験が端的に示すように、深い幻想の気質を有していたサンドが、少女の頃から階級の隔てなく親しんできた農民たちの中にある幻想性に強く惹かれたとしても不思議はない。
 民間伝承のすぐれた採集者でもあったサンドは後に、ベリー地方の「妖精」、「鬼火」、「狼使い」、「夜の洗濯女」、「巨石」などにまつわる話を可能な限りそのままの形で集め『田園伝説集』(1858年)として発表することになるが、聞き手を恐怖でいっぱいにしながらも不思議の世界に引きずり込む、巧みな語り手の麻打ちが語る物語は、サンド自身、少女の頃、夏の夜なべに心を奪われた幻想の世界であった。

「聞く」ということ
 聞き手にとって、マイクで話されることばを聞くとはどういうことだろうか。
 まず第一に、聞き手は直接話し手の声を聞いているのではない、ということだ。耳は会場内のどこかに設備されている複数のスピーカーから響いてくる器械音をとらえる。この音は方向性を持たない、空間に拡散する音の一部であって、それから聞き手は語音を聞き取り文を構成する。いわば音の文章を読むのである。だから話し手当人を見る必要もなく、目は別の文献を眺めていたりする。なまみの話し手は全く疎外されているのだ。
 元来人の話を「聞く」とはどういうことだろう?
 「わたし」が「あなた」に話しかける。
 聞き手はわたしを振り向き、わたしを見つめ、わたしの息づかい、わたしの、ことばを探して立ち止まったり、宙を見つめたり、もどかしく手を振ったりする身動き全体に、自分に差し出されようとしている「こと」を受け取る。
 「聞く」とは、話しかける人を、姿と声の全体で受け取ることだ。これが、ふれ合う、交流する、コミュニケートする、ことだろう。聞く、とは、話されたことばの文章内容だけを抽き出して取り込むことではない。いわゆる情報の伝達とは全く違う出来事なのだ。

幸せな農夫を描く
 この『魔の沼』は、ホルバインの版画『死の幻影』に描かれた、死神の鞭に急がせられながら働く農夫と、偶然、目にした現実の農夫の対照的な光景から構想された。つまり、生の恵みを生きとし生けるすべての人が享受すべきであると確信する作者は、悲惨に打ちのめされ、たえず死の影の中で暮らしている農夫ではなく、輝く自然の中で耕作に精を出す、幸せな農夫を描こうとした。
 死が人々にとってきわめて身近であった時代のホルバインだけではない、たとえば、バルザックも『農民』で、農民たちの胸をつく悲惨さばかりか、醜悪で、腹黒く、臆面もない姿を描き出した。
 『魔の沼』は、こうした人間のおぞましさ、醜悪さに目を凝らし、ことさらに暴き出そうとする文学に対する、理想主義者ジョルジュ・サンドの「異議申し立て」でもあろう。そして、とりもなおさず、逞しく、素朴で、細やかな心遣いができ、心の広い農民を描き出すことで、作者は、とりわけ都会に住むブルジョワ階級に彼らへの共感を呼び起こし、階級の偏見打破をも意図したにちがいない。
 サンドがどれほどベリー地方の自然を愛し、パリにあっては絶えずベリーの田園生活に想いを馳せ、そこに繰り広げられる農民たちの暮らしや、彼らが受け継いできた風習・伝承に深い関心を抱き、自らの作品に投入したか。この地方を舞台にした小説のみならず、おびただしい数の手紙がそのことを明らかにする。
 1843年、サンドは、はるかな時代から続くしきたりを保守している農民たちの婚礼に参列する機会を得た。農村地帯にまで押し寄せてきた中央集権化と合理主義の波にこうした習俗がほどなく呑み込まれ、失われていくことを予感し、サンドはそれをつぶさに書きとめ、「田舎の結婚式」「衣装渡し」「婚礼」「キャベツ」と題して『魔の沼』に付した。

(たけうち・としはる/演出家)
※全文は『環』20号に掲載(構成・編集部)