2002年09月01日

『機』2002年9月号:諸学の対話とアクチュアリティ 三島憲一

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諸学の対話とアクチュアリティ

学際的対話のための学会
 社会思想史学会という学会の存在は知られているようで、知られていないだろう。かつて、多くの大学の一般教養に社会思想史という科目があり、そこでは、スミスらのイギリスの国民経済学、ホッブズからヘーゲル、ルソーの国家や社会の秩序についての理論的思考、マルクス、ベーベルらのドイツ系の資本主義批判に社会民主主義、そしてマクス・ヴェーバーの市民社会論や行為論―― などなどが、そのつどの教員の専門に応じて概説的に教えられていた時期が長く続いていた。市民社会派とマルクス主義者ないしマルクス思想のシンパ(もちろん、それぞれにはさまざまな潮流や主義主張があったが)、大学の学部で言えば哲学でも倫理学系と経済学部の経済理論や経済思想系の出身者が、そのポストに就いたり、講義を担当したりしていた。そうした人々が、現実的な必要からも、学問分野を越えた対話の必要性からも作った学会――おそらくそうしたものとしては、一部の人々にはかなりよく知られていたかもしれない。一九七五年の創立当初から多くの高名な方々も活躍されていた。

時代の変化
 しかし、知られていないと言えば、またほとんど知られていない学会でもある。旧制帝大の学の編制に則った全国学会が、長く大きな力を持っていたことを考えれば当然でもある。哲学系、社会学系、あるいは個別文学系、そして経済学系の全国学会が、結局は若い世代の人事や登竜門としての圧倒的な機能をつい最近まで持っていた以上、学際的対話のための学会が知られていないのは、やむを得ない。理由はもちろん、それだけではない。創立の頃は高度経済成長期のさまざまな問題に人々が直面しており、広義での社会思想や社会理論を、少なくともそこでの用語を、議論の手がかりに必要としていた。古典的な運動系のマルクス主義も強かった。しかし、その後、善し悪しはともかく社会や文化だけではなく、議論の風土も大きく変わった。例えばかつては「認識と関心」が言われていたが、今は「文化とアイデンティティ」が語られる。かつては「資本」と「媒介」が思考停止の切り札だったが、もうだいぶ前から「権力」と「言説」が、「音声中心主義」と「決定不能性」が新たな隠語になっている。日本社会の「後進性」や経済の「二重構造」が論じられたのが、「植民地国家日本」と「労働力受け容れ国家」が当然の認識とされるようになっている。

アカデミックでアクチュアルな雑誌
 社会理論への関心が、公共の議論の場でも、また大学の内部でも著しく低下している現在では、社会思想史学会がほとんど知られていないのも、当然である。多くの大学における「改革」なるものの結果、社会思想史という科目も消えつつある以上、成立の時の現実的な「生臭い」存在理由もなくなった。
だが、学問もそうだが、学会もどんどん変わるのは当然である。それは創立以来の社会理論を放棄することではない。アドルノやハーバーマスの名前は依然として重要である。だが、すでに彼らの仕事が示すとおり、文化やライフスタイルは社会理論の重要で不可欠の部分である。植民地や過去の問題も、複雑な現代を読むときには欠かせない。そうした、たえざる革新と変化の象徴として、このほど学会誌『社会思想史研究』を藤原書店に引き受けていただいた。学会誌の地味でひたむきな良さと、たえざるアクチュアリティを重視する書店の緊張感とをあわせもつ雑誌として発展することを願っている。

(みしま・けんいち/社会思想史学会代表幹事)