2019年09月24日

ウォーラーステインさんを偲ぶ  藤原書店社主 藤原良雄(談話)

 私が、イマニュエル・ウォーラーステインの名を初めて目にしたのは、1970年代初頭のマルクス経済学の従属理論の一人としてです。従属理論は、それまでの帝国主義理論や一国単位での単線型発展モデルに対し、「先進国」の経済発展(中心)と「第三世界」の低開発(周辺)を一体として考えるもの。当時、そのような従属理論を唱えていた人々として、フランクやアミンらとともに、ウォーラーステインも知りました。

 日本では1981年に『近代世界システム』が岩波現代選書で出版されました。そこで不図目に留まった肩書が「フェルナン・ブローデル・センター所長」というものでした。

 当時私は新評論の編集長として、1980年から「新しい歴史学」としてのフランスの『アナール』を日本にはじめて紹介しました。80年代は、この「アナール」の第三世代を中心に作品を紹介し、叢書「歴史を拓く」〈アナール論文選〉(全四巻)をはじめ、数多くの単行本を刊行しました。

 ウォーラーステインとの初めての出会いは1989年秋の来日中ことです。体格の良い大男でした。

「あなたは、肩書に『フェルナン・ブローデル・センター所長』とあるが、ブローデルとはどういう関係ですか?」

「私が、フェルナン・ブローデルの正当な後継者であります。現在のアナール学派の方々は、ブローデルの真の後継者ではありません。彼らは、ブローデルと違って逆にどんどん小さな世界を対象に研究しています。初期「アナール」が企図した全体史からかなり離れてきています。だから私はブローデル本人の許可ももらって、ニューヨークで彼の名を使った研究所を設けています。」

「メンバーは何人いるのですか」と問いかけると、微笑みながら、

「私一人です」と答えた。

 自己紹介を含め、しばらく歓談したあと、

「これまでアナールの第三世代を中心に紹介してきたが、これから本命のブローデルを紹介します。『地中海』(全5巻)の邦訳出版を計画しています。私はこれから新しい出版社を起ち上げますが、あなたの本もそこに是非組み込みたい。これから出版する著書の邦訳権をすべて私にいただけませんか?」

 氏は快く「了解しました。喜んであなたの新しい出版社にお願いしたい。契約書にサインしましょう」と。

 こうして、ウォーラーステインとの付き合いが始まった。爾来、小社から氏の単著や編著を次々と出版することになりました。1991年6月の叢書〈世界システム〉経済・史的システム・文明(全5巻)の第1巻『ワールド・エコノミー』の発刊を皮切りに、9月には『ポスト・アメリカ――世界システムにおける地政学と地政文化』、93年には『脱=社会科学 19世紀パラダイムの限界』と目が醒めるような迫力で、90年代から2000年代にかけて単著・共著を合わせてちょうど20冊に達する出版活動をしてきました。その間、氏は幾度か来日しており、その都度私は、氏を交えた研究会やセミナー、懇親会を開催してきました。

 ウォーラーステインの〈世界システム〉論という枠組みは、ブローデルの衣鉢を継ぎ、より広域的な歴史における長期波動のダイナミズムを明らかにするとともに、従来の社会科学の行き詰まりを超えて、常に、その次を、その先の未来を見据え、考えようとしてきたものです。

 また、彼が提示した議論の枠組みは、閉塞感に喘いでいた20世紀末の社会科学研究を活性化し、エコロジー運動やフェミニズム活動をも巻き込んだ、新たな共同研究の可能性を垣間見せてもくれました。その一方、フランクの『リオリエント』(2000年、藤原書店刊)に示されたように、ウォーラーステインの議論には、西洋中心主義に流れるきらいがあったことも否めません。

 いずれにしても、20世紀末の社会科学の議論は、ウォーラーステインを中心に展開していたと言っても過言ではない。エマニュエル・トッドの登場なども、ウォーラーステインの業績を抜きにしては考えられないものです。

 今は安らかにお眠りくださいと申しあげたい。合掌。

(談)

イマニュエル・ウォーラーステイン氏の略歴と著書