2019年07月19日

『機』2019年7月号



社主の出版随想

▼今、小社では、二人のコレクションの刊行中である。一人は、昨春から始まった在日詩人の金時鐘氏。もう一人は、今春から刊行が始まった「生命誌」を提唱された中村桂子氏。

▼先日、大阪で、有志主催の「金時鐘氏の卒寿記念と渡日七〇年の集い」があり参加した。金時鐘氏とは、今から一七年前、学芸総合誌『環――歴史・環境・文明』の対談で大阪の上六のホテルでお会いした。初めて詩人とお会いしたが、想像をはるかに超えた氏の態度に圧倒された。大学人が語る言葉とは全く違う言葉で躰の底から絞り出すように訥々と語られた。まだ四・三事件のことは語れないし語りたくないとはっきり明言された。その後、四・三事件について少しずつ語られるようになったが、済州島での肉親との惜別や色々な思い出がこみ上げてこられるようだ。

▼今、日韓関係はかなり厳しい時にさしかかっている。つまりわれわれは、隣国について殆んど何も知らないで戦後育ってきた。勿論積極的に学校で教えられないで。近くなるためには、やはりまず知ることから、学ぶことから始まるのではないか。鶴橋や新大久保に行ったから朝鮮半島のことがわかるわけではない。一時、韓国ブームに沸いた時もあったが流行で終ってしまった。自分の身近かな所から対話を始めるのも良し、「金時鐘コレクション」(全12巻)を一冊どの巻からでもいいから繙いて欲しい。きっと何かを発見することと思う。

▼先日、中村桂子さんが社に立ち寄られた。「コレクション」(全8巻)の第二回配本のお祝いである。中村さんによると、「生命誌」という言葉は、「生命誌」だけではなく「生命誌研究館」という六文字として浮んだといわれる。つまり、研究所ではなく研究館、生命史ではなく生命誌。この二点が、中村桂子のオリジナルといえる。七〇年代から急速に生命科学が発展していった中で中村さんは、この生命科学を、「いのちの物語」として、ふつうの人々が集い楽しめる場を作りたいと思った。一九九三年JTの支援の下、「生命誌研究館」が誕生した。

▼中村さんは、食事をしながら「今生きてるってことが不思議なのよね」と云われた。生命科学者の言葉の奥深い意味を考えながら「そうですね」と言葉を交わしたものの、あの生命誌の土台のような扇形の絵や’13年に到達したという「生命誌曼荼羅」の絵を見ながら、「生きていることの不思議さ」に思い到るひとときであった。(亮)

七月号 目次

■香港二百万人デモの真相 王 柯

■後藤新平と実業家たちに共通する公共・公益の精神とは? 後藤新平と五人の実業家 由井常彦

■社会に「国境」が遍在するなかで、「歓待」を実現する思想とは何か? 人類学から捉えた「移動」論 吉田 裕

■広島の演劇史に埋れた名作『河』、その現代的意味とは? ヒロシマの『河』 土屋時子

■真に「書くべき程の事」を鮮烈に書き留めた詩的批評文集 詩情のスケッチ 新保祐司

■知らず知らずで、戦前回帰。 金時鐘

〈短期集中連載2〉レギュラシオンの基礎と展開 原田裕治

〈リレー連載〉近代日本を作った100人64「柳田国男」 赤坂憲雄

〈連載〉今、日本は3「非正規大国」 鎌田慧

    沖縄からの声Ⅴ―3(最終回)「琉球弧の果ての島・喜界島の不思議」安里英子

    『ル・モンド』から世界を読むⅡ―35「令和日本」 加藤晴久

    花満径40「オホーツク文化の保存」 中西進

    生きているを見つめ、生きるを考える52「寝てばかりいるマウスは見つかったけれど」 中村桂子

    国宝『医心方』からみる28「河骨の薬効の今昔」 槇佐知子

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