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ジョルジュ・サンド生誕200周年記念

ジョルジュ・サンド
セレクション

(全9巻・別巻一)

〈責任編集〉
M・ペロー持田明子大野一道

四六変上製
 予頁各400〜600頁平均

sand

本全集の特徴

■日本では「田園小説」群の翻訳にとどまるサンドの全く意外な作品の数々を一挙に紹介し、根強いステレオタイプを一新する画期的な作品選。
■サンドは哲学小説で人間存在や神の意義を問い、長大な教養小説を著し、また逸早く工場労働者の生活の実態を描きだした。また過度の物質文明崇拝の弊害を予見し、その非人間性や自然破壊の危険性を警告した。
■第一帝政、王政復古、七月革命、二月革命、第二帝政、さらに普仏戦争を経て第三共和政、パリ・コミューンとその崩壊――19世紀フランスの歴史的大事件すべてを経験したサンドは、女性に政治的権利はおろか、離婚等民事上の権利すら与えられていなかった時代に、疲れを知らぬペンを手にして経済的、精神的自由を追求し続けた女性、否、人間だった。
■主要な作品の中から未邦訳のものを中心に、19世紀にあって既に、現代社会が直面するさまざまな問題の萌芽と真っ向から向き合っていた〈時代の思想家・サンド〉の全体像を浮かび上がらせ、「人類の理想の達成を信じていた」(ドストエフスキー)彼女の今日性を明らかにする。


各 巻 構 成

※書名をクリックすると内容紹介をお読みいただけます

〈プレ企画〉 (2004年6月刊)
ジョルジュ・サンド 1804-76
持田明子

第1巻(2005年7月刊)
モープラ ――男を変えた至上の愛
 Mauprat, 1837
小倉和子 訳=解説

第2巻(2004年10月刊)

スピリディオン ――物欲の世界から精神性の世界へ
 Spiridion, 1839
大野一道 訳=解説

第3巻
コンシュエロ 上
第4巻
コンシュエロ 下
 Consuelo, 1843
持田明子・大野一道・山辺雅彦 訳=解説

第5巻(2006年6月刊)
ジャンヌ ――無垢な魂をもつ野の少女
 Jeanne, 1844
持田明子 訳=解説

第6巻(2005年1月刊)
魔の沼 ほか
 La Mare au Diable, 1846/Letters a Marcie, 1837
持田明子 訳=解説

第7巻(2006年2月刊)
黒い町
 La Ville Noire, 1855
石井啓子 訳=解説

第8巻(2005年4月刊)
ちいさな愛の物語
 Les Conmtes d'une Grand-mere, 1873, 1876
小椋順子 訳=解説

第9巻
書簡集 1820-76
持田明子 編

別巻
ジョルジュ・サンド ハンドブック
持田明子・大野一道 編



【藤原書店PR誌『機』2004年5月号より】

サンド、自由な女性
M・ペロー
自由な女性
 サンドは何よりもまず、自由な女性である。とりわけ、その生き方で。幼くして父を失い、祖母の死によりひとりになった彼女は1822年、カジミール・デュドヴァン男爵と結婚。二人の子供が生まれる。息子モーリスを溺愛した反面、娘ソランジュに対しては冷ややかであり、反抗的な性格に育った娘と絶え間なく対立し、苦い思いを抱き続けた。
 馬と狩に熱中し、会話や読書を嫌悪した夫カジミールとの共感のない結婚の試練を彼女は味わった。この時代、離婚することが許されていなかったために、別居した。そして、彼女は女性の自立の鍵である、離婚と『民法典』改革の擁護者になる。民事上の平等こそが選挙権に先立って自立に不可欠の条件であると考える彼女は、1848年、女性の参政権を要求するフェミニストたちに与することはなかった。
 結婚が失敗に終わった後、彼女は多くの愛人を持つ――最初の愛人ジュール・サンドー、最もロマンチックなミュッセ、最も政治的なミシェル・ド・ブールジュ、天才的で虚弱なショパン、パリ郊外のパレゾーで最も献身的な歳月を過ごしたマンソー……。
 そして、パリで出会い、彼女の“楽園”のノアンに迎えた、もっと多くの、男女を問わぬ友人たち。彼女はこの楽園を家族の強い絆とロマン派的な熱を帯びた友情の舞台とし、クーデターの後は隠遁の場所とした。

“書くことへの激しい情熱”
 魂の充実を渇望し、ジョルジュは人間や事物に、風景や書物に、音楽や絵画――彼女自身、優れた音楽家であり、画家であった――に、フランス革命や神のすべてに関心を抱く。
 彼女はとりわけ“書くことへの激しい情熱”を満足させようとする。この情熱は、少女時代の二年間、英国女性たちの修道院の寄宿生であった〈ミス日記帳〉(彼女につけられたあだ名)をすでに突き動かしていた。文章を書くことは彼女の真の情熱であり、しばしば夜遅くまで、様々な形で実践された主要な仕事であった。豊饒できちょうめんな手紙の書き手の彼女は、三万通を超える手紙を出した。ジョルジュ・リュバンが1万8千通を編纂(全26巻)した。この『書簡集』は19世紀全体を覆う、並外れた証言である。彼女が民主主義的な自伝の模範にしようとした、『わが生涯の歴史』も同様である。ジャーナリズムの重要性を意識し、彼女は新聞(『アンドルの斥候兵』)や雑誌(彼女の社会主義の師であるピエール・ルルーの『独立評論』)の創刊を援助し、1848年には『民衆の大義』を自ら発行したばかりか、多数の論文や連載小説を寄稿した。
 サンドはイギリスの偉大な女性小説家たちのように個人的ではなく、より社会的ではあるが、彼女たちと同じように、最も偉大な男性たちに比肩する。“サンドは同時代の文壇の女王”であると、ヴィクトル・ユゴーの腹心の友ビュロ(『両世界評論』誌編集長)は評した。

あらゆる闘いに参加した女性
 そしてサンドは19世紀のあらゆる闘いに参加した女性であった。不公平と貧困、死刑と牢獄に反対して。詩作する労働者たち、農民の解放、女性の権利のために。自由思想、民族自決(とりわけイタリアにおいて)のために。共和国――平等、普通選挙、政教分離、非暴力に立脚した“民主主義的、社会主義的共和国”のために。彼女は、ルドリュ=ロラン、ルイ・ブラン、アラゴ、そしてとりわけ、彼女の尊敬する“聖なる共和主義者”アルマン・バルベスといった、臨時政府の友人たちとともに全精力を傾けた一八四八年の第二共和政がこの理想を実現したと信じた。彼女は『共和国公報』の一部を編集し、増大するパリと地方の落差を心配して民衆教育のパンフレットを増刷した。
 われわれには彼女を再発見する課題が残されている。

(Michelle Perrot/歴史学)
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