2011年10月01日

『機』2011年10月号:快楽の歴史 A・コルバン 尾河直哉

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日本の読者へ  A・コルバン
 十九世紀の性科学が誕生する以前に医者、カトリックの聴罪司祭、官能小説家が快楽の調和をどのようなものとして理解し、どのようなものであって欲しいと願っていたか、私はそれを蘇らせてみたが、日本の読者の目にはおそらくきわめて異様なものに映るはずである。それはまず、本書が主として「ラテン的でカトリック的な」西欧を扱っており、官能の規範とエロティックな実践が当時の日本のものとはまったく異なっているからに他ならない。
 だが、異様に映る理由はそれだけではない。二十世紀初頭の精神宇宙には、欲望やタブーや快楽という言葉を聞いて今日われわれが抱くさまざまな表象を秩序立てているすべて――すなわち、十九世紀末に確立された倒錯の一覧と語彙、フーコーが追究した原=性科学、精神分析の開発と二十世紀におけるその広範な普及――がすでに存在していたが、この十九世紀前半にはまだそれらは存在していなかったからである。
 こうした二重の異様さのおかげで、本書を読む日本の読者のみなさんは、住み慣れた土地を離れて旅するような飛びきり新鮮な気分を味わえることと思う。それとともに、ロマン派の詩人や小説家の理解をいっそう深めることもできるようになるだろう。

なぜ「快楽の歴史」か  尾河直哉
「快楽」と「性」  本書は原題を直訳すれば「快楽の調和――啓蒙の世紀から性科学出現までの快感享受法」となる。具体的に言えば、一七七〇年から一八六〇年まで、すなわちイタリアに代わってフランスの医学が揺るぎない地位を保つようになった時期からゲルマン系の精神病理学や性科学が権威を確立するまでの時代のフランス語圏における性的快楽のありようとその転変を、医学、宗教(カトリシズム)、文学(ポルノグラフィー)との関わりで語ろう――訳者の印象ではほとんど「蘇らせよう」――というのが本書の眼目である。
 この原題について二つのことに注目したい。まずそこに「性」という言葉がないこと。そしてその代わりに「快楽」という言葉が用いられ、しかもそれが複数形に置かれていることである。


「性」の概念 「性」と訳すことができるフランス語に(le)sexe と(la)sexualitéの二つがあることは旧聞に属するかもしれない。渡辺守章氏の言葉を借りれば「通念的には、生物学的・解剖学的現実として≪ sexe ≫ があり、そこから発動する様々な本能的衝動、欲望、行動、現象などが≪ sexualité ≫ と呼ばれることになる」(フーコー)。フロイトの『性欲論三編』の訳語として用いられ、一九二四年以後、「性本能とその充足に関する行動の総体」を意味するようになったのがこのsexualitéらしい。したがって、この語が存在しなかった(ということは語の内包する概念も存在しなかった)時代をこの語で語るとすれば、致命的な時代錯誤を犯すことになろう。コルバンが「序」で「フロイトが『欲望』に賦与した意味を、彼が定着させ世に知らしめた『性』の概念を忘れよう」と力説しているのはそのためである。
 したがって、本書でコルバンが扱う史料にsexualité の語が皆無であることは言うまでもない。しかしそこにはまたsexe という語も皆無ではないにせよきわめて稀なのである。つまり、本書が扱うこの時代、医者も司祭も官能小説家も、ましてや一般庶民にいたってはなおのこと、現在われわれが「性」という言葉で捉えている行為や現象をsexualité という言葉でもsexe という言葉でも捉えていなかったということを意味する。紛れもなく「性」を扱った著作であるにもかかわらず、自著のタイトルをつけるにあたって、コルバンがこの言葉の使用を周到に避けている理由はここに求める他ない。


「快楽の歴史」を語ろう 次に「快楽(plaisirs)」という言葉を考えてみたい。例えばフーコーは「快楽」という言葉をどう語っているか。
 「キリスト教の『公式』は欲望を消滅させようとしながら欲望を強調しています。行為は中性的なものにならなければならないのです。行為の唯一の目的は生殖または夫婦の義務の達成だけです。快楽は、実践においても理論においても、排除されています。したがって(欲望)―行為―(快楽)という公式になります」。あるいはまた、「大事なのは欲望であり、快楽は何でもないのだと説明している現在の経験」という言い方もしている。近代以降の西洋キリスト教世界において重要なのは、欲望と、欲望という個人の真理を開示するセクシュアリテであって、快楽そのものではないということだろう。要するに、「西洋においては、(性愛の術をそなえた社会では、快楽の密度を高めることによって、身体を性の真理から解き放とうとしているのにたいし)、このような諸法則による快楽のコード化がついにはセクシュアリテという装置一式を誕生させることに」なった、という認識である。
 ということは、フーコーが、西洋では排除され、セクシュアリテによってコード化されてしまったとする「快楽」を、コルバンはあえて自著の表題に掲げているのである。「快楽の歴史」を語ろう。「セクシュアリテの歴史」ではなく。コルバンはそう言っているのだ。
 しかもその「快楽」が複数形に置かれている。なんの複数だろうか。人間の複数か。行為の複数か。身体部位の複数か。そのいずれもが考えられるだろう。いずれにせよ重要なのは快楽が複数の相の下に捉えられ、そのあいだの調和(言い換えれば調整)が問題になっていることである。ここには性を個人の身体内に封じこめられた病理やトラウマに還元する性科学や精神病理学の垂直的な発想や視点はない。複数の快楽のあいだの調和が語られるとき、個人の裡に閉じこめられ垂直に沈殿した秘密を真理として暴く言説の場としてのセクシュアリテが問題になっていないことは明らかである。フーコーの指摘する「真理を知る快楽」ではなく、快楽それ自体のための快楽(とはいえそこにはたしかに出産という目的が控えているのだが)や快楽を最大限にするための調和(調整)が語られるとき、フーコーが西洋社会が備えていないとした「性愛の術」(このいささか性急で図式的な命題は後にいくぶんか修正されるものの)に通じるものさえ感じられないだろうか。ここには、セクシュアリテという言葉で代表される十九世紀終盤以降の「憶見」の埒外でこの時代を語ろうとするコルバンの姿勢が感じられる。


「性」の概念 「性」と訳すことができるフランス語に(le)sexe と(la)sexualitéの二つがあることは旧聞に属するかもしれない。渡辺守章氏の言葉を借りれば「通念的には、生物学的・解剖学的現実として≪ sexe ≫ があり、そこから発動する様々な本能的衝動、欲望、行動、現象などが≪ sexualité ≫ と呼ばれることになる」(フーコー)。フロイトの『性欲論三編』の訳語として用いられ、一九二四年以後、「性本能とその充足に関する行動の総体」を意味するようになったのがこのsexualitéらしい。したがって、この語が存在しなかった(ということは語の内包する概念も存在しなかった)時代をこの語で語るとすれば、致命的な時代錯誤を犯すことになろう。コルバンが「序」で「フロイトが『欲望』に賦与した意味を、彼が定着させ世に知らしめた『性』の概念を忘れよう」と力説しているのはそのためである。
 したがって、本書でコルバンが扱う史料にsexualité の語が皆無であることは言うまでもない。しかしそこにはまたsexe という語も皆無ではないにせよきわめて稀なのである。つまり、本書が扱うこの時代、医者も司祭も官能小説家も、ましてや一般庶民にいたってはなおのこと、現在われわれが「性」という言葉で捉えている行為や現象をsexualité という言葉でもsexe という言葉でも捉えていなかったということを意味する。紛れもなく「性」を扱った著作であるにもかかわらず、自著のタイトルをつけるにあたって、コルバンがこの言葉の使用を周到に避けている理由はここに求める他ない。


「快楽の歴史」を語ろう 次に「快楽(plaisirs)」という言葉を考えてみたい。例えばフーコーは「快楽」という言葉をどう語っているか。
 「キリスト教の『公式』は欲望を消滅させようとしながら欲望を強調しています。行為は中性的なものにならなければならないのです。行為の唯一の目的は生殖または夫婦の義務の達成だけです。快楽は、実践においても理論においても、排除されています。したがって(欲望)―行為―(快楽)という公式になります」。あるいはまた、「大事なのは欲望であり、快楽は何でもないのだと説明している現在の経験」という言い方もしている。近代以降の西洋キリスト教世界において重要なのは、欲望と、欲望という個人の真理を開示するセクシュアリテであって、快楽そのものではないということだろう。要するに、「西洋においては、(性愛の術をそなえた社会では、快楽の密度を高めることによって、身体を性の真理から解き放とうとしているのにたいし)、このような諸法則による快楽のコード化がついにはセクシュアリテという装置一式を誕生させることに」なった、という認識である。
 ということは、フーコーが、西洋では排除され、セクシュアリテによってコード化されてしまったとする「快楽」を、コルバンはあえて自著の表題に掲げているのである。「快楽の歴史」を語ろう。「セクシュアリテの歴史」ではなく。コルバンはそう言っているのだ。
 しかもその「快楽」が複数形に置かれている。なんの複数だろうか。人間の複数か。行為の複数か。身体部位の複数か。そのいずれもが考えられるだろう。いずれにせよ重要なのは快楽が複数の相の下に捉えられ、そのあいだの調和(言い換えれば調整)が問題になっていることである。ここには性を個人の身体内に封じこめられた病理やトラウマに還元する性科学や精神病理学の垂直的な発想や視点はない。複数の快楽のあいだの調和が語られるとき、個人の裡に閉じこめられ垂直に沈殿した秘密を真理として暴く言説の場としてのセクシュアリテが問題になっていないことは明らかである。フーコーの指摘する「真理を知る快楽」ではなく、快楽それ自体のための快楽(とはいえそこにはたしかに出産という目的が控えているのだが)や快楽を最大限にするための調和(調整)が語られるとき、フーコーが西洋社会が備えていないとした「性愛の術」(このいささか性急で図式的な命題は後にいくぶんか修正されるものの)に通じるものさえ感じられないだろうか。ここには、セクシュアリテという言葉で代表される十九世紀終盤以降の「憶見」の埒外でこの時代を語ろうとするコルバンの姿勢が感じられる。


フーコーとコルバン そもそも、本書『快楽の歴史』の執筆の動機のひとつに、フーコーの『性の歴史』に対する密かな批判があったのではないか。訳者ならずともそういう疑念を持ちたくなるだろう。批判という言葉が強すぎるなら、一定の相対化と言い換えてもよい。というのも、全体の認識論的視座にかかわり、コルバンが本書のなかで控えめながらも批判的に言及している名前はフーコーだけだからである。
 いささか楽屋話めくが、コルバンは『娼婦』を出版したさい、「フーコーの思想に従属している」と攻撃されたことがあるらしい。「『ル・モンド』紙にあまり好意的でない書評」が出て、『娼婦』が「フーコーについてはほとんど言及していない」にもかかわらず、その書評のなかに「『またフーコーか。この歴史家もフーコーの弟子だ、云々』という一節があった」というのである。その一方で、『娼婦』を献呈したフーコーからは「四ページにわたって、細かい字でびっしり書かれた非常に長い手紙を受け取」り、それが「かなり褒めてくれた手紙」だったので「非常にうれしかった」と個人的な思い出を語っている。つまりコルバンはフーコーの思想に「従属」していたわけでもなければ、ましてや弟子などではありえなかったし、かといって、二人のあいだに個人的な確執や敵対関係があったわけでもないのである。
 それならばなぜコルバンはフーコーの『性の歴史』に対する密かな批判、あるいは相対化ともみなしうることを企てたのだろうか。フーコーとコルバンがいずれ劣らずまれに見る誠実な思想家であり歴史家であることはだれにも首肯できよう。だが、そのまさに誠実さゆえになされたのがこの批判であり、書かれたのがこの書物だったのではないか。訳者はそう考えている。
 フーコーは『性の歴史』の第一巻「知への意志」で、西洋、とりわけキリスト教的近代西洋が、人々にセクシュアリテを語らせることによっていかに真理を産出させ、セクシュアリテを知である権力という形へといかに整えてきたかを理論的に語った。しかし、キリスト教西洋近代分析の実際編、第一巻の理論編に対応するべき論証編は結局書かれることがなかったのである。 (構成・編集部)

(Alain Corbin /歴史家)
(おがわ・なおや/フランス文学・ロマンス諸語文学)