2011年05月01日

『機』2011年5月号:「私には敵はいない」の思想

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【劉燕子】 「劉暁波とは誰か」と問うことは、中国現代史を問うことである。同時代の激烈な状況から逃避せず、これを真摯に直視し、格闘する者においては、その人間性と歴史が鋭く交叉する。劉暁波は、まさにそのような存在である。彼は一九八九年六月の天安門事件でも、二〇〇八年一二月の「08憲章」でも極めて重要な役割を担ったが、この二つは中国現代史どころか、数千年の中国史、さらには世界史においても重要な意味を持つ。


【劉暁波】 ……だが私はこの私の自由を剥奪した政権に対して変わりなく言おう――二〇年前、私が「六二絶食宣言」において表明した信念、即ち私には敵はいない、私には憎しみはないというこの信念を私は堅く守っているということを。私を監視し、制約し、逮捕し、尋問した全ての警察官、私を起訴した検察官、私に判決を下した裁判官、彼らはみな私の敵ではない。


【及川淳子】 「私には敵はいない」という思想は、つまり「仇敵意識」からの解放である。一党独裁の中国共産党政権を批判した劉暁波と、劉暁波を国家政権転覆扇動罪で断罪した中国共産党政権を、一種の敵対関係としてとらえることは容易だ。しかし劉暁波は、毛沢東時代、特に文化大革命時代の「階級闘争をかなめとする」という「闘争哲学」を放棄し、「仇敵意識をしだいに薄れさせて、人を憎む心理を取り除くという過程」を歩むことが、改革・開放政策によって社会を発展させてきた前提だと認め、そのような人間性の重視と実践こそが必要なのだと主張している。


【子安宣邦】 中国の民主化とは、中国人民が真に公民になることだといっているのである。中国の専制的支配の長い歴史において権力に迎合し、阿諛追随してきた知識人を含む中国的弱者を激しい言葉をもって否定していた劉暁波は、天安門事件を通じて、公民であることを体現する「天安門の母たち」に代表される人びとの民間的活動に中国の未来への活路を見出す劉暁波に変身していった。だが変身というよりは、天安門事件から二重の負い目をもって生き残った劉暁波は、まさしく生まれかわったというべきだろう。


【麻生晴一郎】 実際には二十一世紀以来、中国では制度上の保障がろくにないにもかかわらず、(…)メディアによる政府批判や人権擁護活動や純粋な民間団体による公益活動がめざましい台頭ぶりを見せている。法律や政府のあり方の改善を求める主張とは別に、民間による自発的な活動そのものを積極的に観察・評価する視点があっていいと思うのである。劉暁波氏が「未来の自由な中国は民間にあり」と言う場合の「民間」の現状とは、まさしく制度面での不遇にめげず自由や民主化を求めようとする個人の内面の思いを踏まえている気がするのだ。

(構成・編集部)
(リュウ・イェンズ/作家、現代中国文学者)
(リュウ・シャオボ/作家)
(おいかわ・じゅんこ/中国翻訳家・通訳)
(こやす・のぶくに/日本思想史)
(あそう・せいいちろう/ノンフィクション作家)