2011年04月01日

『機』2011年4月号:サードセクター ――今こそ、社会的出番! 井上泰夫

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地震災害・経済危機とサードセクター
 本訳書(『サードセクター 「新しい公共」と「新しい経済」』)を出版するためのすべての作業を終えつつあった二〇一一年三月一一日、日本のみならず世界の記録に足跡を残す東日本大震災が勃発した。それは、数百年から数千年に一回の確率で起こった大災害であり、東北地方の太平洋岸の港湾に面した都市、町並み、家々が巨大な津波によって瞬時に消え去った。それだけでなく、この津波は福島の原子力発電所にさらに深刻な被害をもたらし、日本だけでなく、世界中にとって放射能汚染という最悪のリスクを引き起こした。都市の崩壊と原発の制御不能という二重の困難は日本社会に大きな爪痕を残すことになり、しかも、正常化の目途が立つまでに、非常に長い時間が必要になることが確実視されている。
 顧みれば、日本経済は、第二次世界大戦後、一九五〇―七〇年代の高度経済成長から、息つく暇もなく、一九八〇年代の平成バブル経済にのめり込んだのちに、一九九〇年代に入って、金融バブルは急激に崩壊し、かつて盤石の強さを誇った日本的フォーディズムの制度的枠組みは次々にほころびを呈して、そのまま制度疲労に陥ってしまった。そして、「失われた一〇年」と日本の内外で評された一九九〇年代の長期的停滞を打破すべく本格的導入が官によっても民によっても推進された「新自由主義路線」は小泉政権の退陣とともに深刻な経済的、社会的矛盾を日本経済・社会にもたらすことになってしまった。なぜか。すべてを企業や個人の自由競争に委ねて、優勝劣敗を刺激して、優れた者が生き残って社会を作り直すという考え方がそもそも日本の経済風土になじまなかったからである。
 このような現代日本の状況はある意味で、世界の状況を映し出している。フォーディズムから新自由主義への経済政策のシフトが経済格差という伝染病を先進諸国にまき散らしていることは周知の通りである。北米諸国も、EU諸国もミドルクラスが大量に形成される社会から、経済格差が蔓延するような格差社会に陥っている。いかにしてこの袋小路から脱出するのか。その解決のための重要な方法として、リピエッツが提唱するのが、サードセクターの確立である。サードセクターについて詳細な説明は本書における叙述に譲るが、その理念は危機に陥った社会が固有に備えている社会の自律的な組織化に関わっている。経済格差に見舞われている社会において、そして今回の大地震のように既存の官・民のネットワークが一瞬にして破壊されてしまう状況において、最後の拠り所となるのが、人間社会のもつ社会的な絆である。現在の経済格差が深刻であるのは、経済成長が常識であった時期には十分に機能した官と民のシステムだけではもはや経済格差の矛盾を解決できないからである。だからこそ、官と民を超えた社会的な絆としてのサードセクターがその解決の受け皿になりうる。

日本のNPOとサードセクター
 日本社会の文脈のなかで考えるとき、サードセクター論は、NPO運動と関連している。日本のNPOは環境、自然保護、文化、社会などの領域ですでに大きな活動の蓄積がある。そして、もはや活動人口の三分の一に達している大量の非正規雇用者問題はNPO活動のなかに十分取り込む余地がある。地元の生活に密着した課題、問題を取り扱うのがNPOの目的であるとすれば、企業にとり採算性の取りにくい活動について、市場経済のルールに従いつつ、相互扶助の考え方に立って運営することは可能である。その意味でも、NPOについての従来の考え方が、本書のなかで展開されているサードセクター論と結びつくことによって、理論的なバックボーンと実践的な戦略を獲得することができるだろう。

(構成・編集部)
*全文は『サードセクター』に掲載
(いのうえ・やすお/経済理論)